2019/02/12

ドイツの町と紋章59 ヴォルフラーツハウゼン

Wappen der Stadt Wolfratshausen

ヴォルフラーツハウゼンはミュンヘンの南30kmに位置する人口2万人弱の小都市。ミュンヘン市S7の終着駅がある。入間市と姉妹都市提携を結んでおり、市内には小さな日本庭園がある。

赤い爪と舌をもつ、黒いライオンが描かれている。このライオンは15世紀初頭以来ヴォルフラーツハウゼンの紋章獣であったが、狐が用いられる時期も何度かあった。

ドイツの町と紋章58 イェナ

Wappen der Stadt Jena

イェナはチューリンゲン州の大学都市。光学機械メーカー、カール・ツァイス社の拠点でもある。

紋章では、白い背景に白と青の服を着た、金髪の天使が描かれている。天使は甲冑、鉄兜、羽を身につけている。右手では槍を竜の喉に突き刺し、左手では黒いライオンが描かれた盾を持っている。左足は竜の背に乗せられ、竜の下には青いブドウが描かれた盾がおかれている。
描かれているのはミカエル大天使で、ブドウが表しているのはイェナで栄えているワイン産業である。ライオンは、マイセンの支配者の紋章獣からとられている。今日の紋章は1999年に制定された。

ドイツの町と紋章57 ワイマール

Wappen der Stadt Weimar

ワイマールはチューリンゲン州第四の都市で、州都エアフルトとイェナの中間に位置する。ワイマール古典主義の中心で、バウハウス大学も擁する文化都市である。

紋章では、金色の、赤いハートで埋め尽くされた盾に、赤い舌の黒いライオンが描かれている。この意匠はオルラミュンデ伯の紋章に由来する。現在の紋章は、1975年に都市の1000年祭に際して制定された。

以下がオルラミュンデ市の紋章で、ワイマールのものよりもハートがいくつか少ない。

Wappen der Stadt Orlamünde

ドイツの町と紋章56 エアフルト

Wappen der Stadt Erfurt

エアフルトは、チューリンゲン州の州都で、人口21万人。ドイツの連邦労働裁判所がおかれており、ローマ・カトリック教会エアフルト司教区の大聖堂がある。

紋章では、赤色の背景に、六つの輻をもつ白い車輪が描かれている。
最古の印章には聖マルティンが描かれていたが、17世紀から車輪が登場した。この意匠はかつて都市が属していたマインツ大司教区からとられている。つまり、マインツ市の紋章にも描かれた「マインツの車輪」である。

以下がマインツ大司教区の紋章。

ドイツの町と紋章55 ポツダム

Wappen der Stadt Potsdam

ポツダムはブランデンブルク州の州都で、人口17万5千人。かつてのプロイセン王の居所である。

金色の背景に、左を向いて黒い爪をつけ、金色の菱形模様をもつ鷲が描かれている。盾の上には、アーチ形の城壁冠が載せられている。
この鷲はブランデンブルク州の紋章獣で、12世紀に遡る。ポツダムの紋章に使われたのは、1450年の印章が最初である。かつて背景は銀色だったが、王の居所になったことで、1660年に金色にすることが許された。今日の紋章は、1957年に制定された。

2018/05/30

結婚することについて


 ほとんどの人に報告できていないのだが、結婚することになった。まずは、この記事で初めて伝えることになってしまった知人友人に謝りたい。報告の時期も遅れてしまい、結婚式(身内のみでやります)まで20日を切っているという状況である。

 もともとは、「結婚」という制度・文化・習俗について、様々な視点から勉強、考察し、その成果を付した長大な結婚報告を著すつもりであった。自分の結婚はこの勉強のための最良の機会であるし、結婚を手掛かりに社会学という近くて遠い学問を覗こうかとも画策していた。しかし、端的に忙しく、とても専門外の読書に耽る時間などなく、簡単な報告で済ますことになってしまった。無論、結婚に人生における「功績」としての絶対的な価値を認めていない人間の一人として、人はなぜ結婚するのかという命題には関心を持ち続けている。加えて、当面は入籍なしの事実婚でやっていくので、そのあたりの実際的問題についても勉強する必要がある(さすがにこれはある程度しているが)。いずれ考えをまとめられる時期が来ると良いと思っている。

 相手の女性については特に触れる必要もないだろうが、一点、情報を正確にしておきたいので書いておく。彼女はEthnic Chineseではあるが、日本生まれ日本育ちで、母語は日本語である。数年前には日本国籍を取得した。こう書くとネトウヨに媚びているような文章だが、もちろんそんなことが言いたいのではない。彼女のアイデンティティについては言うまでもなく、私としても、中国という文明世界と直接的な接点を持てたことを幸運だと思っている(ヨーロッパを勉強しているだけに尚更である)。ともかく、日本の大学に留学に来ていた中国人ではない、ということだ。

 久々の更新なので最後に私の近況報告を。今年度から博士課程に進学し、ようやく某会から生活費と研究費をもらって自活できるようになった。6月の末に初めての国際学会での発表が控えており、その準備が忙しさの最大の要因。今後2年ほどは定期的に史料調査に行きつつ日本で研究し、そのあとは留学してそこで学位をとることを計画している。そのまま日本を脱出できるだけの能力を身につけられればよいのだが、そううまくはいかないだろう。
 
 今後ともよろしくお願いします。

2016/11/16

Georg von Rauch, Russland: Staatliche Einheit und nationale Vielfalt, Munich, 1953.


Georg von Rauch, Russland: Staatliche Einheit und nationale Vielfalt, Munich, 1953.

 本書は国家中枢の中央集権的志向と諸民族の分権的志向との間の緊張関係を軸にした、ロシア史の通史である。ロシアの多民族性に着目しているという点で、これはAndreas Kappeler, Rußland als Vielvölkerreichの先駆であり、ロシアの連邦制的改革案について取り上げている点で、Dimitri von Mohrenschildt, Toward a United States of Russiaの先駆である。帝国論、ナショナリズム論の隆盛によりKappelerの研究ですら既に古くなった今では、類書の少ない後者の視点で読むことが有用だろう。

 本書の優れた点は、何にもまして、キエフ・ルーシからソヴィエト連邦に至るロシア史上の全ての国家体制とその改革案に現れた連邦主義的原理を網羅的に取り上げようという企図にある。近代の帝国改革案はしばしば古来の国制を理想化とともに援用することで正当化されたから、正当化の根拠とされた国制の実情とその改革案をその場で比較対照できるのは、本書の通史的特徴の長所だと言える。また、アメリカ建国以後の連邦構想のみを扱ったvon Mohrenschildtに対し、著者はアメリカ建国以前に模索されたロシアの複合国家への改編にも視線を向けることで、複合国家と連邦国家との共通性を提示している。ただし、共通性にもかかわらず存在するであろう両者の原理的な相違について考察が十分なされているわけではなく、複合国家的改編と連邦国家的改編の構想は並列的に扱われている。
 
 ロシア史上の連邦主義的国家構想の網羅的考察という以上のような企図にもかかわらず、若干の漏れを指摘することはできる。例えば、本書で主に取り上げられているのは中央及び諸民族による国家構想であり、ロシア人の地域主義者(シベリアのポターニンなど)によるそれは重視されていない。著者は改編後の国家の地域単位の措定が、歴史的特権によるべきか、民族によるべきかの区別は行っているが、それ以外に、19世紀にはそれが経済的一体性によるべきだという議論が登場しており、その議論が例えばシベリア地域主義者の自治の主張の根拠とされたのだった。また、当時の研究水準でやむを得ない点であろうが、中央アジアやカフカースについての記述は薄い。他方、バルト・ドイツ人の回想録などにより、ラトヴィア人の運動についてはとりわけ詳しく論じられている。

 筆者の専門であるウクライナについては、ペレヤスラフ条約をロシア国制史上の画期とする記述と、1917年キエフでの諸民族大会の連邦制決議を民族の法的主体としての承認としてやはり国制史上の画期とする箇所に頷いた。オーストリア=マルクス主義の影響がブンドとラトヴィア・ナショナリストに対して以外具体的に論じられていないのは物足りなかった。