2015/09/04

[論文メモ] von Hagen, Mark. “Revisiting the Histories of Ukraine,” in Georgiy Kasianov/ Philipp Ther (ed.), A Laboratory of Transnational History: Ukraine and Recent Ukrainian Historiography. Budapest/N.Y., 2009 等三論文


von Hagen, Mark. “Revisiting the Histories of Ukraine,” in Georgiy Kasianov/ Philipp Ther (ed.), A Laboratory of Transnational History: Ukraine and Recent Ukrainian Historiography. Budapest/N.Y., 2009

Ther, Philipp. „Die Nationsbildung in multinationalen Imperien als Herausforderung der Nationalismusforschung,“ in Andreas Kappeler (Hg.), Die Ukraine: Prozesse der Nationsbildung. Köln/Weimar/Wien, 2011

Wendland, Annna Velonika. „Ukraine Transnational: Transnationalität, Kulturtransfer, Verflechtungsgeschichte,“ in Andreas Kappeler (Hg.), Die Ukraine: Prozesse der Nationsbildung. Köln/Weimar/Wien, 2011


いずれも、「ウクライナ史」へのアプローチに関する、最新の研究動向を踏まえての問題提起。

von Hagenはかつての挑発的なvon Hagen, Mark. “Does Ukraine Have a History?” in Slavic Review 54-3, 1995を振り返りながら、現在注目すべき視点をいくつか挙げている。境界領域、地域などはスラ研のおかげもあって馴染みがあるが、都市という視点はあまりとられていないように感じる(リヴィウは例外)。ともかく、多様性こそにウクライナ史の特徴があるという論点は、1995年から変わっていない。

Therは帝国という場への視点が今までのナショナリズム論に欠けていたと指摘し、ネイションと帝国政府の相互作用や、「ネイション化する帝国(ドイツやロシア)」とその臣民であるネイションのナショナリズムとの緊張関係などに着目すべきと述べる。また、ナショナリズム内部の潮流においても、帝国や王朝原理に迎合的なものが存在する場合がある。いずれの視点も、ウクライナ史によくあてはまっており、今後の可能性を感じさせる。

Wendlandはトランスナショナルヒストリー、文化交換、絡み合いの歴史の視点をウクライナ史に導入した。ウクライナ・ネイションビルディングは、フロフ論のような内在的な語りでは捉えられないトランスナショナルな運動だった。ドニプロとガリツィアの知的交流、ポーランド人からの民族理論の吸収、ディアスポラから、反ユダヤ主義、ホロドモル、ナチとの協力などの負の側面まで、ウクライナ史は文化交換と絡み合いに満ちている。さらに、相互作用の特に濃密だった都市や境界地域
、そしてそこでの同化と異化についても、研究が期待される。最後に著者は、既にウクライナのトランスナショナルな面を鋭く指摘し、自らが文化交換の主体として活動してきたミハイロ・ドラホマノフに注目する意義を、改めて述べている。

第一次世界大戦におけるウクライナ・ナショナリズムについて、ドイツ・オーストリアとウクライナ人インテリの間の文化交換を通して語ることは可能かもしれない。

[論文メモ] Magocsi, Paul Robert. “Old Ruthenianism and Russophilism: A New Conceptual Framework for Analyzing National Ideologies in Late-Nineteenth-Century Eastern Galicia,” in Paul Robert Magocsi, The Roots of Ukrainian Nationalism: Galicia as Ukraine’s Piedmont. Tronto/London/Buffalo, 2002


Magocsi, Paul Robert. “Old Ruthenianism and Russophilism: A New Conceptual Framework for Analyzing National Ideologies in Late-Nineteenth-Century Eastern Galicia,” in Paul Robert Magocsi, The Roots of Ukrainian Nationalism: Galicia as Ukraine’s Piedmont. Tronto/London/Buffalo, 2002 (first appeared in Paul Debreczeny (ed.), American Contributions to the Ninth International Congress of Slavists, Kiev 1983, Vol. II. Colombus, 1983, pp. 305-324)

ガリツィアのウクライナ・ナショナリズム研究の古典の一つ。おそらく、最初にポピュリスト史観を批判し、侮蔑的に扱われていた「ルソフィル」に光を当てた論文である。
著者はまずルソフィルとウクライノフィルの二分法を批判し、ルソフィルのなかにも時代によって異なる潮流が存在し、「老年ルテニア人」と「ルソフィル」に区別されるべきだと述べる。「老年ルテニア人」とは1848年に主役となったインテリ勢力で、ルーシの一体性、反ポーランド、ハプスブルク帝国への忠誠、ユニエイト教会との緊密性などに特徴がある。一方、著者の定義する「ルソフィル」は1890年代に登場した新たな潮流で、ロシア人との一体性、ロシア語の使用、オーストリア批判、共通の敵ウクライノフィルに対抗してのポーランド人との協力、などが特徴である。

おそらく、後の議論に影響を与えた論点は次の二つである。まず、ウクライノフィル、老年ルテニア人、ルソフィルの三勢力は19世紀前半に登場した老年ルテニア人から枝分かれしたものであり、元々共通の根を持っていたという説。これは、ウクライノフィルとルソフィルの時間超越的な二分法を退けるもので、ルソフィルをウクライナ・ナショナリズム内の保守勢力として再定義したWendlandの議論などに影響を与えたと思われる。第二点は、「ルソフィル」は「老年ルテニア人」からの枝分かれであって変身ではなく、「ルソフィル」登場後も第一次世界大戦期まで「老年ルテニア人」は存在しつづけたという説。これについては批判的応答が多い感覚があるが(Himkaがそうだった気がする)、もう一度註などで触れている諸論文を整理しなくてはいけない。