2015/09/04

[論文メモ] Magocsi, Paul Robert. “Old Ruthenianism and Russophilism: A New Conceptual Framework for Analyzing National Ideologies in Late-Nineteenth-Century Eastern Galicia,” in Paul Robert Magocsi, The Roots of Ukrainian Nationalism: Galicia as Ukraine’s Piedmont. Tronto/London/Buffalo, 2002


Magocsi, Paul Robert. “Old Ruthenianism and Russophilism: A New Conceptual Framework for Analyzing National Ideologies in Late-Nineteenth-Century Eastern Galicia,” in Paul Robert Magocsi, The Roots of Ukrainian Nationalism: Galicia as Ukraine’s Piedmont. Tronto/London/Buffalo, 2002 (first appeared in Paul Debreczeny (ed.), American Contributions to the Ninth International Congress of Slavists, Kiev 1983, Vol. II. Colombus, 1983, pp. 305-324)

ガリツィアのウクライナ・ナショナリズム研究の古典の一つ。おそらく、最初にポピュリスト史観を批判し、侮蔑的に扱われていた「ルソフィル」に光を当てた論文である。
著者はまずルソフィルとウクライノフィルの二分法を批判し、ルソフィルのなかにも時代によって異なる潮流が存在し、「老年ルテニア人」と「ルソフィル」に区別されるべきだと述べる。「老年ルテニア人」とは1848年に主役となったインテリ勢力で、ルーシの一体性、反ポーランド、ハプスブルク帝国への忠誠、ユニエイト教会との緊密性などに特徴がある。一方、著者の定義する「ルソフィル」は1890年代に登場した新たな潮流で、ロシア人との一体性、ロシア語の使用、オーストリア批判、共通の敵ウクライノフィルに対抗してのポーランド人との協力、などが特徴である。

おそらく、後の議論に影響を与えた論点は次の二つである。まず、ウクライノフィル、老年ルテニア人、ルソフィルの三勢力は19世紀前半に登場した老年ルテニア人から枝分かれしたものであり、元々共通の根を持っていたという説。これは、ウクライノフィルとルソフィルの時間超越的な二分法を退けるもので、ルソフィルをウクライナ・ナショナリズム内の保守勢力として再定義したWendlandの議論などに影響を与えたと思われる。第二点は、「ルソフィル」は「老年ルテニア人」からの枝分かれであって変身ではなく、「ルソフィル」登場後も第一次世界大戦期まで「老年ルテニア人」は存在しつづけたという説。これについては批判的応答が多い感覚があるが(Himkaがそうだった気がする)、もう一度註などで触れている諸論文を整理しなくてはいけない。

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