Jobst, Kerstin S. „Marxismus und Nationalismus: Julijan Bačyns'kyj und die Rezeption seiner „Ukraïna irredenta“ (1895/96) als Konzept der ukrainischen Unabhängigkeit?,“ in Jahbücher für geschichte Osteuropas 45, 1997
ウクライナ民族史観において独立ウクライナを提唱した最初の書物として称揚される„Ukraïna irredenta“だが、その肩書きが果たして正当なものなのか、著者であるバチンスキーの経歴を詳しく辿ることによって検討している。バチンスキーはラディカル党においてHimkaの言う「青年」ラディカルとして独立ウクライナを唱え、のちに社会民主党党員となり西ウクライナ人民共和国に参加した。20年代のソ連領ウクライナでのコレニザーツィヤに感銘を受けるとソ連に移住した。このような亡命ウクライナ人知識人での親ソ的傾向は珍しくなかったが、実際にソ連に移住した者の多くはやがてスターリン時代の粛清の被害者となった。バチンスキーも収容所で生涯を閉じた。
今までバチンスキーを扱った歴史家の多くは、彼を単純にウクライナ・ナショナリストとして描くことを躊躇させるソ連移住のエピソードについて、無視するか全く気付かずにいた。さらに、問題の書物„Ukraïna irredenta“を詳しく読めば、バチンスキーはマルクス主義の立場からウクライナ国家を想定しており、経済的な問題が解決されれば、やがて国家は不必要になると考えていたことが分かる。つまり、彼にとって独立ウクライナは発展段階の一部を構成する要素でしかなかった。また、同時代の知識人も、„Ukraïna irredenta“を独立ウクライナ提唱の書としては読まず、社会民主党の一派閥による政治的パンフレットとしか見なされなかった。確かにマルクス主義に熱中する一部の党員や学生には読まれたが、ナショナリズムを主導するような影響力はなかった。
本論において著者はバチンスキーを扱ったウクライナの通史のほとんどを批判しているが、2010年には自ら通史を著し、そこでしっかりバチンスキーの脱神話化を行っている。
Jobst, Kerstin S. Geschichte der
Ukraine. Stuttgart, 2010