2021/05/17

ウィーン生活8:オーストリアのコロナ政策

  ウィーンに到着した2月から現在まで、何度か公式のコロナ政策に変化があったので、後世のために一応まとめておきたい。

 まず、2月下旬の到着時は、政府がいわゆるハード・ロックダウンを解除し、飲食店やホテルの営業を停止する一方、商店や図書館・博物館は開いているという状況だった。そのため、入国時の隔離のあとは、直接足を運んで必要なものを買いそろえることができた。

 しかし、3月に感染者、特に重症患者が急増し、状況が深刻な東部三州(ウィーン市、ニーダーエスターライヒ、ブルゲンラント)では4月初旬のイースター休暇に合わせて再度ハード・ロックダウンが導入されることになった。当初、この措置は一週間程度と予告されていたが、開始時点で4月11日の日曜日までの継続に変更された。この期間はスーパーを除く商店や図書館などが完全に閉まり、「健康維持」目的以外での外出が24時間禁止された。実際はそこまで厳重に外出目的のチェックがある訳ではなく、公園での散歩などが咎められることはなかった。ただ、暖かくなった3月の下旬は野外でピクニックをして集まる若者の姿が目立ち、特に人が集まるシュテファン広場、ドナウ運河などにマスク着用義務が定められ、監視のために警察が配置された。

マリア=テレジア広場もマスク着用義務対象

 この東部三州のハード・ロックダウンはまず18日に延長され、19日にいち早く解除したブルゲンラント以外の二州では結局5月2日まで継続された。こちらでは、最初からロックダウンの期限は暫定的であり、継続の是非はその都度判断すると明言されている。そのため、当初のイースター・ロックダウンが延びたこと自体は予想通りでありそれほど反発はなかったように思うが、初めてロックダウンを経験した身としては、いつ終わりが来るのかはっきりしないのは辛かった。

 5月3日に再び商店が開く前から、政府は5月19日にレストラン、ホテル、スポーツ施設、劇場などを再開すると述べ、その後具体的な規則が練られていくとともに、EU内の一部の国からの入国時隔離義務を撤廃することも明らかになった。既に商店などの再開から2週間近くが経ったが、感染者は減り続けており、予定通り19日に緩和措置が取られることは確実である。レストラン、ホテル等の利用には、陰性/接種/回復証明書の提示が義務付けられる。ワクチン接種の順番が来ていない現時点の我々にとって、このルールはカフェやレストランに入るためだけに毎度検査を受けなくてはならないことを意味する。ウィーン市にはドラッグストアで受け取った検査キットを用いて自宅で検体を採取する制度があるが、それでも面倒であることに変わりはない。

 19日以後どうなるかは何の専門知識もない自分には知るよしもないが、フォアアールベルク州の経過はやや希望を持たせてくれる。フォアアールベルクでは感染者数の少なさから3月に例外的にレストランなどの営業が解禁し、その後の緩和のモデルとして動向が注目されていた。緩和直後の4月、フォアアールベルクでは感染者が急増して今後が危ぶまれたが、ワクチンの効果か、あるいは感染者急増自体が緩和に伴う検査数増加の結果だったのか、ともかく5月に入って感染者は再び減少フェーズに入った。ただ、もちろん人口密度の高いウィーンでは全く異なる経過を辿る可能性も十分あるだろう。

 全体として、今のオーストリアには楽観的な雰囲気が漂っている。市民は19日の緩和措置とその後の夏季休暇を心待ちにしており、おそらくその雰囲気が現在進行中の政権党のスキャンダルへの関心を下げている。日本では各種変異株の動向が注目されているようだが、こちらでは冬にはすでに英変異株への入れ替わりが完了してそれを前提とした対策が講じられ、まだインド変異株は交流の少なさからかそれほど入ってきていないようで、大したニュースにはなっていない。ワクチン接種スピードは西欧ではおそらく平均的で、保健省によれば、今のところ接種可能人口の40%弱が一度目の接種を完了している。

2021/05/14

ウィーン生活7:大学生活

  こちらの暦では3月1日から夏学期が始まり、自分が正式に博士課程の学生になったのもその日のことである。2か月半が経ち勝手も分かってきたので、個人が確実に特定されない範囲で大学での研究について書いていく。

・博士課程

 日本と同じく、博士号取得のための最小年数は三年であるため、卒業できるのは最短で2024年の2月である。ただ、これも日本と同じく、(少なくとも自分の分野では)三年で博論を書き終えるのは難しいというのが共通認識であるらしい。自分の場合は日本で数年既に博士課程を経験しているわけだが、その点は顧慮されない。奨学金が三年分しか決まっていないなどの事情があり、心の中では三年で書き終えることを諦めてはいないが、現時点では指導教員を納得させる根拠もない。

 放任主義的な日本と比べると、ここでは学生が博論を提出するまでの段階を前もって具体的に組織することが奨励されている印象を受ける。初年度のどこかで博論の執筆計画について聴衆の前で発表するFOePなるイベントがあり、それを経て初めて正式に指導教員と契約が結ばれる。単位取得のため授業やゼミに出席するのはFOePを成功裡に終えたあとのようだ。大学には学部横断的な博士候補生支援事務局があり、相談窓口を設けるとともに様々なワークショップを主催している。

 指導教員とは1―2か月に一度面談をして研究状況について報告することになっている。先日二度目の面談があり、4月はずっとそのための準備にあて、現時点で考えている章構成とその内容、参考文献リストについての資料を作った。ブログの更新が滞ったのはだいたいこの作業のせいである。

・研究チーム

 現在、自分は正規の博士候補生であると同時に、指導教員がリーダーを務める研究チームの一員にもなっている。研究チームは拠点をウィーン大においてEU版の科研費のようなもので運営されている。自分は無給であるが、チームの成員として、大学の建物内にパソコンなどが備えられた作業場所を与えられている(もっとも、つい先日までロックダウンであったのでほとんど使っていないのだが)。今学期は一切授業を取っていないので、数週間に一度行われるこのチームのミーティングが生活の基準になっている。そこではチームメンバーの誰かが書いた原稿について討論し、その後個人の研究状況について互いに報告することが通例である。

 今まで自分が出席した三度のミーティングはすべてzoomであり、メンバーのほとんどとはまだ直接会ったことがない。人によって考えがあるとは思うが、アカデミアでは皆対等であり批判に遠慮はいらないというのが原則だとしても、そのような議論の場は人間同士としての信頼関係を前提として成り立つのではとも思う。また、そもそも国際的な研究チームに加わるのは初めてであり、欧州アカデミアのコミュニケーション規範についても何も知らない。そういうわけで、毎回の議論はやや居心地が悪く、今は直接顔を合わせて他のメンバーに人間として認知される機会が来るのを待っている。

・図書館

 こちらに来てまず驚いたのは、図書館が契約しているオンラインデータベースの充実ぶりである。日本でも主要な雑誌にはほとんどアクセスできたが、こちらでは雑誌だけでなく、Eブックもかなりの数が簡単に手に入る。他方、紙媒体の図書については、自分の研究分野についてもそれなりに充実した専門図書館があるものの、ここですべてが手に入るという感じではない。特に、ロシア語文献はおそらく東京のほうが多かった。また、昔の新聞などの一次史料もほとんど所蔵していないようである。

 ロックダウンのせいで、作業場所としての図書館についてはまだ余り書くことがない。椅子が固く高さも調整できない中央図書館を除いてまた一度も用いていない。ただ、所属する研究所の専門図書館は一度司書に案内してもらった。おそらく、最も作業に使いやすいのは大学図書館ではなく、オーストリア国立図書館であろう。

 最後に、大学の東アジア学科の専門図書館は、ウィーンで日本語書籍が手に入る数少ない場所の一つである。図書館の性格上、自分が好んで読む翻訳文学が手に入らないのが惜しいが、日本文学であれば読む本に困らない程度の量は所蔵している。