2016/01/29

ドイツの町と紋章50 トラウンシュタイン


Wappen der Stadt Traunstein

トラウンシュタインはバイエルン州の都市で、人口は19000人。
ミュンヘンとザルツブルクを結ぶ路線上に位置し、ザルツブルク観光の前に立ち寄った。12月25日だったのでクリスマスマーケットは既に閉まり、町は閑散としていた。

紋章は三つの丘と二つのアヤメから成っている。これは数百年前から同じだが、中世には三つの門の上に二つの矛槍が描かれた異なる紋章が用いられていた。これは、かつて町が要塞として機能していたことを示している。

2016/01/27

ドイツの町と紋章49 バート・テルツ


Wappen der Stadt Bad Tölz

バート・テルツはミュンヘンの南50kmに位置する保養地で、人口は1万8千人。ミュンヘンとは私鉄BOBで結ばれている。
ここのクリスマスマーケットは坂道の歩行街に沿って店が並ぶ珍しい形だった。

紋章には、赤い舌を出した黄色のライオンが描かれている。半身のライオンはヴィッテルスバッハ家との関係を示しており、1500年以来全ての紋章に登場している。最初にそれが見られたのは1374年の印章で、おそらく1331年に皇帝となったルートヴィヒによって町に授けられた特権に伴うものだった。

[読書メモ]F. ハルトゥング(成瀬治・坂井栄八郎訳)『ドイツ国制史――15世紀から現代まで』岩波書店、1980年。


F. ハルトゥング(成瀬治・坂井栄八郎訳)『ドイツ国制史――15世紀から現代まで』岩波書店、1980年。

 ドイツ国制史の古典で、ひとえに勉強のため。領邦君主と領邦等族の二元主義などの近世ドイツ史の重要問題を学び、近代史に関しても、ヴェストファーレン講和以後もフランスに接した西南諸領邦を中心に、神聖ローマ帝国の改革が模索されていたこと、ドイツ連邦の機能不全はその弱さではなく、むしろ実力に見合わぬ中央権力の強さにあったこと(すなわち、強大な中央権力は個々の領邦の反発を受けたし、さらに連邦はプロイセンとオーストリアという二大国によって自国のために利用された)などが分かり面白かった。

 ハルトゥングは諸領邦の分立主義と帝国のあいだの緊張を重視するが、それはナポレオンによって帝国が分解されれば問題が解決されるような単純なものではなかった。ヴェストファーレン講和以後、主権を獲得した小領邦は、自らが帝国なしには存在も危ぶまれるほどに弱小であることに気づき、家産領の増進に専念していたハプスブルク家の皇帝に対抗し、再び帝国権力を強めることを試みた。結局それは失敗に終わるが、ウィーン会議以後即座にドイツの統一的権力樹立の試み(ドイツ連邦)が開始されたのであり、それは1871年のドイツ帝国の誕生まで連続していた。そう考えると、ドイツ統一は1848年革命に象徴されるような「統一と自由」を求める自由主義的ナショナリズムの成果というよりは、ヴェストファーレン講和以来常に求められていた弱小な諸領邦の保護役としての帝国が、諸邦分立主義に対抗し得るプロイセンの強大な国内的・国際的実力と、ナショナリズムの高まりを巧妙に回収したビスマルクによって実現された、ということなのかもしれない。要するに、ドイツとイタリアの統一をロマン主義的な観点のみで同一視することはできない、ということだ。

 ドイツ帝国の国制は、「君主制の個別諸邦を破壊することなしにそれらを統一体にまとめあげるという、ドイツの歴史的発展によって与えられていた特別な課題を巧みに解決」(382頁)したのであり、「これは他の連邦国家、たとえばアメリカ合衆国やスイスとのいかなる比較も不可能にするものである」(384頁)、という。僕にとっての問題は、ドイツ帝国的連邦制がのちに現れる連邦国家のモデルとなることはあったのかという点だが、上述の特殊性はそのまま神聖ローマ帝国という「怪物」の特殊性に由来するのだから、なかなか見つからないだろう。

ドイツの町と紋章48 ゲルメリンク


Wappen der Stadt Germering

ゲルメリンクはミュンヘン近郊の都市で、人口は38000人。Sバーンで結ばれたミュンヘンのベッドタウンとなっている。
ここのクリスマスマーケットで初めて聖ニコラウスを目撃した。

紋章の左右の部分はそれぞれ合併前の二都市、ゲルメリンクとウンテルプファッフェンホーフェンの紋章からとられている。すなわち、ゲルメリンクの部分には聖マルティン教会が、ウンテルプファッフェンホーフェンの部分には赤いライオンが描かれている。これは、この地に大所領を有していたクリンゲンスペルク家の紋章から取られた。下部の三つ山(Dreiberg)は、町にあった城塞パルスベルクを表している。

2016/01/26

ドイツの町と紋章47 ドレスデン


Wappen der Stadt Dresden

ドレスデンはザクセン州の州都で、人口は50万人を超える。かつてはザクセン選帝侯国、ザクセン王国の首都として栄え、旧市街には壮麗な建築物が立ち並んでいる。その多くは第二次世界大戦中の空襲の被害を受けたが、やがて再建された。
ドレスデンの「シュトリーツェルマルクト」は1434年に始まったドイツで最も古い、また今もなお最もよく知られたクリスマスマーケットである。

紋章の左部分にはマイセンのライオン、右部分には黒いランツベルクの帯が描かれている。ライプツィヒの紋章との相違は、ただ縦帯のティンクチャー(色)にのみ存する。


ドイツの町と紋章46 ライプツィヒ


Wappen der Stadt Leipzig

ライプツィヒはザクセンの大都市で、州都のドレスデンを超える州内最大の人口を有している。バッハやメンデルスゾーンの活躍した音楽都市として知られ、1989年のデモでライプツィヒはドイツ統一運動の震源地となった。
クリスマスマーケットの時期に滞在。ライプツィヒ中央駅は町の規模に比して明らかに大きい。

紋章の左部分には赤い舌と爪を持った「マイセンのライオン」が、右部分には「ランツベルクの縦帯」が描かれている。ライオンはマイセン辺境伯としての、縦帯はランツベルク辺境伯としてのヴェッティン家の意匠であり、ライプツィヒがザクセン選帝侯国の一部であったことを示している。今日の紋章は1468年の印章まで遡ることができる。
同じくヴェッティン家の所領に属した周辺都市も、似たような紋章を有している。下左図はケムニッツの、下右図はデーリッチュの紋章で、二つの意匠の配置が異なるだけである。

Wappen der Stadt Chemnitz Wappen der Stadt Delitzsch

市庁舎の中央におそらく古い紋章。


PC130016

2016/01/25

[読書メモ] マーク・マゾワー(中田瑞穂・網谷龍介訳)『暗黒の大陸:ヨーロッパの20世紀』未来社、2015年


マーク・マゾワー(中田瑞穂・網谷龍介訳)『暗黒の大陸:ヨーロッパの20世紀』未来社、2015年。

 ヨーロッパの20世紀は、二つの戦争を経て、自由と協調、民主主義の勝利に至る華々しい道筋として描かれがちである。そこでは民主主義こそが常に真のヨーロッパ的な規範であり、ファシズムや共産主義は忌むべき逸脱であった。1989年に東欧の共産主義政権が相次いで倒れた時、自由なヨーロッパの勝利は決定づけられたのだ。しかし、マゾワーによる20世紀ヨーロッパ史は、それとはまったく異なる視座を提示する。彼によれば、「冷戦で民主主義が勝利したことで、民主主義はヨーロッパの土壌に深く根づいていると考えたいかもしれないが、歴史はそうではないことを物語っている」(23頁)。なぜなら、「暗部」と見なされてきたファシズムや共産主義も、既存のヨーロッパ的価値観のなかから生まれてきたものか、あるいはある時代にヨーロッパ全体で共有されていた思想を極端に推し進めたものに過ぎないからだ。また、周辺と見なされがちな東欧や南欧の歴史的経験に目を向ければ、事態はよりはっきりする。「ヨーロッパを自由の源と同一視する知識人の伝統は何世紀も前にさかのぼる。しかし、自由民主主義が戦間期に失敗した事実を直視し、共産主義とファシズムもまたヨーロッパ大陸の政治的遺産の一部であると認めるのならば、この世紀にヨーロッパをかたちづくってきたものは、思想や感情の緩やかな収斂ではなく、敵対的な新秩序と新秩序の間の相次ぐ暴力的な衝突だったことは否定しがたい」(493-494頁)。本書は、既存のヨーロッパ観との対比を強調するならば、20世紀ヨーロッパにおける反民主主義、反自由主義の歴史であると言えるかもしれない。

 このようなシニカルな歴史観を可能としたのは、おそらく著者マゾワーがギリシャ出身であることと無関係ではない。19世紀前半に独立を果たしたギリシャだったが、第一次世界大戦直後にトルコとの間で悪名高き住民交換を経験し、戦後初期に東西で揺れたのち、権威主義体制を経験した。議会主義が確立されヨーロッパ共同体への加入が許されたのちも、同様の経緯をたどったスペイン、ポルトガルとともに社会経済問題に苦悩している。ギリシャからの視座は、西ヨーロッパの理想主義的なヨーロッパ観を相対化するとともに、東欧の「後進性」をより冷静に評価することを可能にする。例えば、戦間期のヨーロッパ全体における議会主義への疑念と権威主義の台頭についての考察は、ピウスツキやホルティへの視線によって、より深いものとなっている。
 本書エピローグのEU主義者への冷笑と国民国家間の協調の評価はきわめてプラグマティックであり、1989年のイデオロギーと政治への幻滅を経て、実態のますます不可解な「ヨーロッパ」への参入を急ぐ旧共産圏の国々への警鐘ともなるだろう。

ドイツの町と紋章45 ニュルンベルク


Wappen der Stadt Nürnberg Großes Stadtwappen

ニュルンベルクは人口50万人を超えるバイエルン第二の都市。人口350万人のニュルンベルク都市圏の中核を形成している。
ドレスデンと並ぶ大規模なクリスマスマーケットが開催されることでも知られ、僕が行ったときには日本人もたくさん来ていた。

左が小紋章で、左半分に爪と赤い舌のついた鷲が、右半分には赤と白の斜めの帯が描かれている。斜めの帯は1260年には確認され、神聖ローマ帝国の鷲は1350年に加えられた。もっとも右部分の帯の数や色は、何度か変化している。1936年から現在の紋章が用いられている。
右は大紋章で、金色の「処女鷲」(Jungfrauensadler、ギリシャ神話の生物ハルピュイア)が、葉でできた王冠をかぶっている。これが描かれた印章は1220年から用いられ、帝国自由都市であることを表している。現在の形は1936年、小紋章と同時に定められた。

2016/01/24

ドイツの町と紋章44 インゴルシュタット


Wappen der Stadt Ingolstadt


インゴルシュタットはオーバーバイエルンでミュンヘンに次ぐ第二の都市で、バイエルン全体でも五番目の人口を有している。アウディの本拠地として有名。

紋章は、白地につめのついた青いヒョウが描かれたものである。かつて町の印章には守護聖人の聖マウリティウスが描かれていたが、やがて紋章学でヒョウと呼ばれる寓話上の生物が登場し、それが単独の意匠となった。ヒョウの紋章の起源には諸説あり、シュパンハイム家のものに由来するというものが有力で、ヴィッテルスバッハ家の神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世により授けられたという伝説もある。1340年以来、現在と同じ紋章が用いられている。