2019/05/06

キエフでの家探し


 4月末にキエフに到着し、9月までここで研究を行うことになったが、一番の懸案は住居だった。大学が用意していた学生寮は、半ば予想通りではあったものの、とても研究に集中するための生活の質を保障しうるものではなく、鍵を受け取ったその日に退居した。その後は手頃な値段のアパートホテルに滞在しながら家探しを行った。以下、最終的に住居を決め、契約を結ぶまでの経緯について書いていく。

 まず、キエフは、賃貸物件を紹介する不動産屋がそこら中にあるという都市ではない。基本的に、インターネットで物件を検索し、不動産屋のオフィスと電話やメールで直接連絡をとるようだ。とりあえず、「キエフ 賃貸」などと検索し、出てきたolx.uaやrieltor.uaといったサイトで、さらに具体的な物件を探した。これらのサイトに、不動産屋が、自らが仲介している物件の情報を載せているのである。立地と家賃だけではとても候補を絞れなかったので、仲介不動産屋の信頼性も考慮し(情報が多い、英語の記載があり、外国人にも慣れている、等)、数件を選んだ。そして、サイトを通じて、それらの物件の仲介人に片っ端から内見希望のメッセージを送り、返信を待った。これが、4月末ごろである。

 結局、返信が来たのはごくわずかであったので、本当は直接電話をするほうが早いのだろう。しかし、幸い、返信をくれた業者の一つを通じ、住居を決めることができた。短いメールでのやり取りののち、5月2日に仲介人と直接電話をした。彼が言うに、私が見たいと言った物件は、大家がしばらく不在のため内見ができない。しかし、ウクライナで幅を利かせているらしいメッセージアプリのViberを通じて、代わりに条件の似た別の物件を複数紹介してくれた。私はそのうち三つを内見することに決め、そう伝えると、早速5月3日、彼の同僚の女性とともに、三軒すべてを見に行けることになった。

 3日の午後、最初に内見予定のマンションの前で業者の女性と待ち合わせた。彼女は英語が堪能で、賃貸契約の詳細を理解し、また大家と交渉するうえで、大いに助かった。一軒目はリフォーム直後で清潔だったものの、冷蔵庫や洗濯機などの家電がいまだ備え付けられていなかった(ウクライナでは、大型の家具・家電は大家が提供するのが普通)。また、大家が外国人をあまり歓迎していないように見えたこと、やや立地が悪かったことから、とりあえず候補から外した。二軒目は、やや狭かったものの、大家が親切そうで、かつ立地も許容範囲内で、候補に残した。しかし、最後に見た家が、広さ、設備、地下鉄駅との距離、スーパーとの距離、文書館へのアクセスなどに鑑みて、明らかに最適だった。それほど迷わず、業者の女性に、ここに住みたいから交渉を始めてほしいと伝えた。

 私が比較的短期の留学生であるがゆえ、賃貸契約に際して生じる問題が二つほどあった。第一に、ウクライナでは通常賃貸契約は6か月単位で行われるのに対し、私が5か月以内でキエフを出ていくことである。それゆえ、5か月間で契約を結ぶことについての承諾を、大家に頼まねばならなかった。この件について、内見当日の大家の返事はネガティヴで、同日の夜に内見に来る別の客が長期で住むつもりならば、彼らと契約したいとのことだった。そこで、その夜の内見が終わったら最終的な返事をもらうということで、その日は一旦解散した。正直なところ、私は再度のネガティヴな返事を予期していたのだが、夜、仲介業者を通じて、三軒目の大家が私と5か月間で契約することに同意したと伝えられた。何があったのかは分からないが、ともかく翌5月4日に契約のため再び大家のもとに赴くことに決まった。

 第二の問題は、契約のテーブルで生じた。賃貸契約書は、業者の女性がウクライナ語と英語の併記で用意してくれており、その内容については、私も大家も文句はなかった。ただ、借り手である私が、現時点で日本のパスポート以外に身分証明書を持っていないことが、大家にとっては問題らしかった。ウクライナには、外国旅行用のパスポートに加え、国内パスポートと呼ばれる国内用の身分証が存在し、長期滞在の外国人も、ウクライナ入国後、「一時在留許可証」という、それに代わる書類を入手しなければならない。私は、これを手に入れるには、大学を通じた書類の発行、保険への加入、日本語書類の公的な翻訳などが必要で、とても時間はなかったことを説明した(これは本当)。最終的に、片言の英語を話す大家にCan I trust you?と尋ねられ、もちろんですと答え、契約を結ぶことになった。不法滞在の外国人に家を貸していることになれば、大家にも責任が生じるのだろう。私は、法で定められた期日内に必ず在留許可証を発行することを約束した。

 こうして、5月4日のうちに、賃貸契約書に署名し、一月目の家賃と、家賃と同額の敷金を現金で支払い、鍵を受け取ることができた。業者の女性にも家賃の50パーセントの仲介手数料を支払った。これらはウクライナの慣習通りとはいえ、合計すればかなりの高額であったが、日本で用意したユーロを両替するなどして乗り切った。これほどスムーズな進展を予想していなかったので、五日分ほどアパートホテルの予約が残っていたが、とりあえずはキャンセルせずにホテルに残って中心部での用事を済ますことにした。おそらく、今週の半ばには引っ越すことになるだろう。

2019/02/27

ドイツの町と紋章69 ローテンブルク・オプ・デア・タウバー

Wappen der Stadt Rothenburg ob der Tauber

ローテンブルク・オプ・デア・タウバーは、バイエルン州ミッテルフランケン管区の都市。人口11000人の小都市だが、城壁に囲まれた旧市街は中世から変わらぬ姿をとどめ、ロマンティック街道の中核として多くの観光客を集めている。

城壁の上に、二つの塔と、一つの小屋(Gerichtslaube)が描かれている。赤いrot城Burgの意匠は、町の名Rothenburgとかかっている。この意匠は1303年の印章には既に現れており、1227年からローテンブルクの城守となっていた大膳職ノルテンブルク家の印章に由来する。1555年以来は帝国都市の地位を示すため鷲が描かれたが、19世紀から城が復活した。

2019/02/26

ドイツの町と紋章68 ヴュルツブルク



ヴュルツブルクはバイエルン州ウンターフランケン管区の管区政府所在地で、バイエルン州第六の都市。ヴュルツブルクの司教館は世界遺産に登録されている。

紋章にはヴュルツブルク大司教区を象徴する意匠である、レン旗(Rennfähnlein)と呼ばれる旗が描かれている。"Renn"の由来は、皇帝が司教にレーエンを与える際の慣習、Berennung des kaiserlichen Lehensであり、そこで用いられる旗(Fähnlein)であるがゆえにRennfähnleinと呼ばれる。1570年より、この意匠は市の印章でも用いられている。

2019/02/25

ドイツの町と紋章67 ヴァッサーブルク・アム・イン

Wappen der Stadt Wasserburg a.Inn

ヴァッサーブルク・アム・インは、バイエルン州ローゼンハイム郡の都市。イン川の湾曲部にできた中世の旧市街は非常に保存状態がよく、観光地となっている。

紋章は、白地に王冠をかぶったライオンが描かれたもの。ライオンは1296年の印章に既に現れ、1810年には現在の色合いが定まった。ライオンの由来は、13世紀まで市を支配していたヴァッサーブルク伯だと考えられている。

ドイツの町と紋章66 エバースベルク

Wappen der Stadt Ebersberg

エバースベルクはバイエルン州同名郡の郡都で、人口12000人。市の北部にはドイツ最大級の森林、エバースベルクの森が広がる。

紋章は、三ツ山Dreibergを雄イノシシEberが上っている構図で、それぞれの意匠が町の名称Ebersbergとかかっている。三ツ山が斜めに使われているのは珍しいように思う。

2019/02/21

ドイツの町と紋章65 マルクト・シュヴァーベン

Wappen des Marktes Markt Schwaben

マルクト・シュヴァーベンは、バイエルン州エバースベルク郡のマルクトで、人口は13000人。ミュンヘン市とエアディンクを結ぶSバーンがこの町を通る。

紋章は、三ツ山の上に、爪の黄色い、羽を広げたタカが描かれている。この紋章は、1409年、バイエルン=インゴルシュタット公のシュテファン3世によって与えられた。
この模様は、現ローゼンハイム郡フリンツバッハに拠点をおいたファルケンシュタイン家に由来すると考えられている。ファルケンシュタイン家は13世紀に途絶えたので、この紋章は自由に使える状態にあったのである。
現在は、フリンツバッハの紋章でも同じタカの意匠が使われている。

Wappen der Gemeinde Flintsbach a.Inn

2019/02/20

ドイツの町と紋章64 エアディンク

Wappen der Stadt Erding

エアディンクはミュンヘン北東に位置する都市で、S2の終着駅がある。テルマエ・エアディンクという大規模温泉施設があることで知られる。

白い背景に青い犂の刃が描かれている。犂のモチーフは、市名Erdingが土地Erdeの耕作を連想させることに由来し、13世紀の印章に既に登場している。1523年以来、紋章では今日と同様の色が用いられていたが、犂はほぼ例外なく直立していた。現在の紋章は1978年に制定された。

2019/02/19

ドイツの町と紋章63 ランツフート

Wappen der Stadt Landshut

ランツフートは、ミュンヘン北東に位置するニーダーバイエルン行政管区の区都。人口は7万人で、ニーダイバイエルンで最大、東バイエルンではレーゲンスブルクに次ぐ規模の都市である。旧市街にはルネサンスとゴシックの名建築が建ち並んでいる。

紋章には三つの青い鉄兜が、結ばれたあご紐とともに描かれている。この模様は1275年より用いられ、ガンメルスドルフの戦いののち、ランツフート人の勇敢さを際立たせるために、バイエルン公でもあった神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世が与えたものだという。青と白はヴィッテルスバッハ家を象徴している。
16世紀には鉄兜の代わりに覆面兜が用いられる時期もあったが、今日では再び鉄兜が描かれている。この紋章から、ランツフートはしばしば「三兜城Dreihelmestadt」と呼ばれる。

ドイツの町と紋章62 レーゲンスブルク

Wappen der Stadt Regensburg

レーゲンスブルクは、バイエルン州オーバープファルツ郡の郡都で、人口は15万人。2006年に旧市街が世界遺産に登録された。

赤い背景に交差する二本の聖ペトロの鍵が描かれたシンプルな紋章。ペトロは大聖堂と市の守護聖人である。この模様の起源は古いが、14世紀の印章では、鍵はペトロとともに描かれていた。1549年から、鍵が単独で用いられるようになった。

2019/02/15

ドイツの町と紋章61 グリュンヴァルト

Wappen der Gemeinde Grünwald

グリュンヴァルトは、ミュンヘンの南に接する人口11000人のゲマインデ。ミュンヘン郊外の高級住宅地で、ドイツで最も豊かなゲマインデの一つに数えられる。

青い背景で、下から順に三ツ山、城壁と城門、トウヒの木、階段状になった切妻屋根の塔が描かれている。屋根と城壁は、町のシンボルであるグリュンヴァルト城の城門建築を再現している。グリュンヴァルト城は1293年にこの地を領有したバイエルン公ルートヴィヒ2世によって建てられ、その歴史がヴィッテルスバッハ家の菱形模様で表現されている。三ツ山とトウヒはイーザル川流域の自然風景を示しており、またトウヒは町の名前(「緑の森」)ともかかっている。

2019/02/12

ドイツの町と紋章60 プラッハ・イム・イーザルタール

Wappen der Gemeinde Pullach im Isartal

プラッハは、ミュンヘンのすぐ南、イーザル川西岸に位置するゲマインデ。S7が市内を通り、交通の便は良い。

紋章は1956年に制定された。左上に地名の由来を表すブナが描かれ、右下の黒字と白い帯の意匠は、バイヤーブルンの紋章である。1160年に記録が現れるプラッハ家は、バイヤーブルンの領主であった古貴族の家系に遡るのである。中央を斜めに横切る白い帯はイーザル川を示し、白色と青色はバイエルン公国へのゲマインデの帰属を象徴している。

ドイツの町と紋章59 ヴォルフラーツハウゼン

Wappen der Stadt Wolfratshausen

ヴォルフラーツハウゼンはミュンヘンの南30kmに位置する人口2万人弱の小都市。ミュンヘン市S7の終着駅がある。入間市と姉妹都市提携を結んでおり、市内には小さな日本庭園がある。

赤い爪と舌をもつ、黒いライオンが描かれている。このライオンは15世紀初頭以来ヴォルフラーツハウゼンの紋章獣であったが、狐が用いられる時期も何度かあった。

ドイツの町と紋章58 イェナ

Wappen der Stadt Jena

イェナはチューリンゲン州の大学都市。光学機械メーカー、カール・ツァイス社の拠点でもある。

紋章では、白い背景に白と青の服を着た、金髪の天使が描かれている。天使は甲冑、鉄兜、羽を身につけている。右手では槍を竜の喉に突き刺し、左手では黒いライオンが描かれた盾を持っている。左足は竜の背に乗せられ、竜の下には青いブドウが描かれた盾がおかれている。
描かれているのはミカエル大天使で、ブドウが表しているのはイェナで栄えているワイン産業である。ライオンは、マイセンの支配者の紋章獣からとられている。今日の紋章は1999年に制定された。

ドイツの町と紋章57 ワイマール

Wappen der Stadt Weimar

ワイマールはチューリンゲン州第四の都市で、州都エアフルトとイェナの中間に位置する。ワイマール古典主義の中心で、バウハウス大学も擁する文化都市である。

紋章では、金色の、赤いハートで埋め尽くされた盾に、赤い舌の黒いライオンが描かれている。この意匠はオルラミュンデ伯の紋章に由来する。現在の紋章は、1975年に都市の1000年祭に際して制定された。

以下がオルラミュンデ市の紋章で、ワイマールのものよりもハートがいくつか少ない。

Wappen der Stadt Orlamünde

ドイツの町と紋章56 エアフルト

Wappen der Stadt Erfurt

エアフルトは、チューリンゲン州の州都で、人口21万人。ドイツの連邦労働裁判所がおかれており、ローマ・カトリック教会エアフルト司教区の大聖堂がある。

紋章では、赤色の背景に、六つの輻をもつ白い車輪が描かれている。
最古の印章には聖マルティンが描かれていたが、17世紀から車輪が登場した。この意匠はかつて都市が属していたマインツ大司教区からとられている。つまり、マインツ市の紋章にも描かれた「マインツの車輪」である。

以下がマインツ大司教区の紋章。

ドイツの町と紋章55 ポツダム

Wappen der Stadt Potsdam

ポツダムはブランデンブルク州の州都で、人口17万5千人。かつてのプロイセン王の居所である。

金色の背景に、左を向いて黒い爪をつけ、金色の菱形模様をもつ鷲が描かれている。盾の上には、アーチ形の城壁冠が載せられている。
この鷲はブランデンブルク州の紋章獣で、12世紀に遡る。ポツダムの紋章に使われたのは、1450年の印章が最初である。かつて背景は銀色だったが、王の居所になったことで、1660年に金色にすることが許された。今日の紋章は、1957年に制定された。