2014/10/12

2014/10/12


・ダッハウ強制収容所
Das Konzentrationslager Dachau, in der Folge KZ Dachau genannt, bestand vom 22. März 1933 bis zur Befreiung durch Truppen der US Army am 29. April 1945. Das NS-Regime errichtete es wenige Wochen nach seiner Machtübernahme; das KZ Dachau war während der Diktatur des Nationalsozialismus eines der bekanntesten Konzentrationslager (KZ).
ダッハウ強制収容所―のちにKZダッハウと名付けられる―は1933年3月22日からアメリカ軍による1945年4月29日の解放まで存在していた。ナチ体制が権力掌握後数週間でそれを設置した:KZダッハウはナチズム独裁のあいだ、最も知られた強制収容所(KZ)であった。
今日は現在おそらくアウシュヴィッツに次いで名が知られているであろうナチの収容所、ダッハウ強制収容所を訪れた。ダッハウは旧市街や宮殿もあるバイエルンの普通の町であるが、やはりその名を聞いて頭に浮かぶのはまずこの収容所であろう。
ダッハウはミュンヘンの郊外、Sバーンで15分ほどの距離にあり、収容所は駅からバスで10分ほどの場所に位置している。日曜ということもあってか、駅から収容所までのバスは「まるで強制収容所」という不謹慎な形容が思い浮かんでしまうのほどの混みようであった。

入口の門にはアウシュヴィッツと同じくArbeit macht freiの一文。門をくぐれば収容所特有の薄ら寒くなる広大さに出迎えられる。
多くのバラックが残されていたアウシュヴィッツ・ビルケナウとは異なり、ダッハウのバラックはほとんどが解体され、一部が博物館や展示用に残されている。博物館の展示はかなり充実しており、12年間での収容所の役割の変遷が詳しく綴られている。 とくに囚人の内訳の変換の展示が興味深かった。悪名高い人体実験の記述は読んでいて気持ち悪くなる。
ここはアウシュヴィッツのような絶滅収容所ではなかったらしいが、収容所の隅にはシャワー室を偽装したガス室が設置されていた。そのそばには囚人の多くが信仰していたのであろうユダヤ教、カトリック、プロテスタント、正教の四つの礼拝堂が彼らの安らかな眠りのため、並んでいた。

アウシュビッツほどの直截的な衝撃はなかったが、これがナチ体制の多くの収容所のモデルであったと思うと、やはり彼らの行いは全く非人間的であったと感じざるを得ない。

「労働は自由をもたらす」
収容所
偽装シャワー室

2014/10/11


・特になし

四連休の二日目、今日は髪を切る予定だったが取りやめ、読書を中心に日本での休日と変わらぬ一日を過ごした。逆にこういう日があると「留学」が始まったんだなと実感する。非日常感のあったケルンの日々とは違う。

最近はVolker Berghahnの第一次世界大戦についてのペーパーバックを読んでいるのだが、調べていたら今夏邦訳が出ていたことを知った(しかし原著9Euroが3000円超・・・)。ついでに第一次世界大戦で検索をかけたら、木村靖二が新書を書いていたり(留学前だったのに気付かなかったらしい)、マイケル・ハワードの翻訳が出ていたりと一応ブームは持続している模様。

2014/10/10

2014/10/10


・バイエルン州立図書館

僕が通っているミュンヘン大学のメインの建物Hauptgebäudeの向かいにバイエルン州立図書館がある。今日は授業がない四連休の初日であり、一日過ごすつもりでそこに行ってみた。ドイツ国内でもかなりの所蔵数を誇る図書館のようで、Worldcatで日本にない本を検索するとここには置いてあると出ることも多々あり、留学前から訪れるのを楽しみにしていた。

中に入ると早速備え付けのPCを立ちあげ、予めリストに入れておいた本をざっと眺める。この図書館は大学図書館と提携しており、先日入手した大学図書館のアカウントでそのままこの図書館のOpacシステムにもログインできるのだ。
開架式の図書館ではないため読みたい本をOpac上で注文する必要があり、ここで試しに気になる数冊を注文すると受取りは10月16日から可能になると言われた。開架でないのは予想していたが、まさか受取りに一週間弱もかかるとは思っていなかった。
雑誌コーナーは開架になっており、ロシア・東欧史関連の専門誌の充実ぶりを確認して満足。そのあとは持参した本を読み、結局昼過ぎにはすることもなくなって帰宅した。今後は欲しい本は早めに家で注文しておくべきだと学んだ。

2014/10/09


・授業初週終了

火曜日から木曜日までにしか授業を取らない僕は今日でミュンヘンでの授業日程の初週が終了したこととなる。とはいっても五つとるうちだったひとつは老人に怯えて既に切ったし、二つは来週が初日なので火曜日と今日それぞれ一つずつの授業に出席したのみである。来週からは語学学校の授業も始まるし、今週はウォーミングアップ程度と見なすべきだろう。
今日の授業は「ロシアとアジア」が主題であったが、教授の専門は日露戦争ということだった。教授の口からいずれ日本人の名や日本の地名が飛び出すかと思うとそれはそれで面白そうだが、僕としてはタタールやトルキスタンの征服の部分に興味がある。それにしても、パワーポイント授業なのでなんとかなりそうだが、聞き取れない・・・。

2014/10/08

2014/10/8


・授業後に机を叩く学生たち

昨日の記事で触れたが、ドイツの学生たちは授業終了の際片手で机をドンドンと叩くことで拍手に似た表現をする。気になって少し調べてみたが、日本語ではその事実は紹介されているものの起源に関する解説は見つからなかった。
そこでドイツ語で検索してみると2002年と古いがちょうどこの伝統を扱った記事があったので今日訳してみた。


なぜ学生たちはトントンと叩いて喝采を示すのか?

学生が授業のあとに喝采を打ち鳴らすとき、彼らはそれによって古き慣習に従っているのだ。ドイツ学生史協会のFriedhelm Golueckeは長らくこの領域で研究しており、我々にここで喝采表明の歴史への簡単な見通しを与えてくれる。

宗教改革の時代、学生寮(Bursen―教師と学生の住宅、教育組合だ)への強制が廃止されると、学生たちは自発的に同郷組合、今日まで広まってきた結合で組織した。それは19世紀の終わりまで、実際は学生の代表であった。それは学生たちの振舞いの規範を定めた―学生組合に属していない者にもである:いわゆるFinke、Kamel、Wilde、Obskurantに対してだ。(訳注:これらは順にアトリ、ラクダ、野蛮人、反啓蒙主義者の意であり、どれも学生組合に属していない学生を軽蔑的に指すとき用いられるようだ)
学生たちの相互関係にとって最も重要な規則は、コメントにおいて定められた。表彰の正式な儀式や、不快感に至るまでである:Vivat!(ラテン語、万歳!)あるいはPereat!(ラテン語、くたばっちまえ!)。学生寮で修道院に似た生活が支配的であったことを顧慮するならば、学生寮の解散でも簡単には放棄されなかった非常に古い伝統が一緒に付いてくることもあった。他方で、新たな影響も効果を持つようになった。例えば、啓蒙的なフリーメーソンと、彼らの集会所での慣習を通じて、である。

教育の範疇での学生による喝采と不快感の表明は、簡単には固定されなかったようだ。それは時間的にも、場所的にも相違している。起源は、たいていはっきりとは見つからない。時に、このような学生の表明は二義的でもある。18世紀後半から19世紀半ばにおけるアカデミックな教師の「口笛の野次」、それは今日一般的に、大学の外においても慣例となっているが、大学では新入生―「キツネ」たちの全く軽蔑的ではない挨拶をも意味することがあった。

似ているのが、新入生による講義の際の「太鼓叩き」であり、1800年ごろ、棒で床を突いていたのである。それは歓迎の挨拶だったが、しかしまた教授にとっては不快感の印ともなりえた。18世紀の終わりごろ、この場合こぶしが机に打ち付けられるようにもなった。

しかし同時に不快の印として既に「床を足でこする」と「シューシュー音を立てる」ことが知られていたので、机を叩くのは教師たちにとって喝采の表明へと変わっていったようだ。後に棒を講義に持っていくことはなくなったので、この場合足を踏み鳴らすことも慣例となった。

http://www.spektrum.de/frage/warum-bekunden-studenten-durch-klopfen-ihren-beifall/589114

2014/10/07

2014/10/7


・授業初日

今日は二つの授業に出る予定だったが、四限(たぶん)の「景観史」はだだっ広い教室に老人が10人ほどまばらに座っているのみという授業開始時刻の光景に怖気づき帰ってきてしまった。
二限の「19世紀の暴力」は、現代からの視点を前面に押しだした授業で、若干のinteraktiv志向もあり形式は好きではないが、内容には関心があるので今後も出席するつもり。こちらは200人くらいの学生と老人が集った人気授業だった。肝心の聴き取りは、教師の自己紹介や事務的な話はほとんど聞き取れず、授業内容に入るとなんとか筋は理解できるという感じだった。パワーポイント授業なので、ちゃんと文字の読める位置に座ればまったくついていけないということにはならないと思う。そして、授業終了と同時に学生が一斉に机を叩きだしたのは驚いた。調べてみたら想像通り拍手と同義のようだ。

4時間ほど空き時間があり学期中に通う語学学校の手続きを済ませ、さらに余った時間で歴史学科の図書館を訪れた。歴史学科だけで五階分、素晴らしい。今日は寝たかっただけなのだが寝てる人が見当たらなかったので机に突っ伏す勇気は出ず、HimkaのReligion and Nationality in Western Ukraineを席に運んで数ページ読んだのち座ったまま寝た。

2014/10/06

2014/10/6


・ミュンヘン入り

一ヶ月ぶりの更新。余りにも呆気なく更新が滞ったことに自らもいささか驚いている。

10月1日に寮に入り、学生証その他重要書類の受取り、各方面での住所変更、生活物資の買い出しなどにここ数日は追われていた。歴史学科で行われた留学生向けのオリエンテーションにも参加し、だいたいの学事進行も頭に入った。授業は今日から始まっているのだが、月曜日は休みにしたので初めての授業は明日である。とりあえず初週は五コマ出席し、後におそらく一つは削るだろうという計画だ。
取る予定の授業は「19世紀の秩序と暴力」「景観史」「ウクライナ語」「16世紀から19世紀のロシアとアジア」「ロシア革命」である。シラバス的なものを見るとどれも概説のようだが、それでも日本で行われている特殊講義に比べればかなり詳しいテーマを扱っている。
それに加えて、大学と提携している語学学校が「学問のドイツ語」みたいな授業を週二回、夜に開講しているのでそれも受けるつもりだ。

明日からは本職の方の勉強を本格的に再開する予定なので、そのことについてだけでもブログを続けていきたいが・・・。