2015/07/05
2015/7/5
・発表について
先日歴史学科のゼミで発表を行った。留学生活はまだ一月残っているが、かなり入念に準備して臨んだので、この一年の集大成として位置付けていた。一応、ここでまとめておく。
ゼミは19世紀のガリツィアについてのゼミであり、僕は「ロシアから見たガリツィア(Galizien aus russischer Perspektive)」という題で発表した。他の学生はだいたいハプスブルク支配と関連する発表をしていたので、少し異なる視点を提供できたとは思う。ドイツ語に自信がなくほぼすべての文章を原稿にした結果、理論と実践の分析から結論を導き出すかなり論文的な構成になってしまったのは、今のドイツ語力の限界だろう。とはいえ、日頃ほとんど会話していないにもかかわらず、意外とすらすら喋れたのはよかった。
内容は、ガリツィアのウクライノフィルやポーランド人が喧伝した「ロシアの脅威」「狂信的汎スラヴ主義」「ルソフィルとの共闘」「ウクライナ人の抑圧」などのテーゼをロシアの側から検証するというもので、まずロシアのナショナリズムはウクライナ人に対して抑圧的というより統合的であったということを全ロシア人概念から示し、次に実際のガリツィア政策ではハプスブルクの王朝的正統性を重んじたツァーリとロシア政府が積極的な介入を嫌ったため、ルソフィルへの支援やプロパガンダ活動も限定的だったことを述べた。ネイション概念についてはAlexei Miller、ルソフィルとの関係についてはAnna Velonika Wendlandを主に参照した。
ほとんど発表準備を始める前はほぼ何も知らなかったテーマなので、自分としてもそれなりに有意義な発表だった。ただ、今回のような「ロシアの脅威」の反証が狙いとなるとどうしても「ガリツィアはロシア帝国の政策においてそれほど重要ではなかった」という結論に至ることになり、この視点をこれ以上深めるのは難しそう。純粋にロシア史の文脈からロシアにおけるガリツィア・イメージの変遷を検討するとかなら面白そうだが。
2015/06/16
[論文メモ] Wendland, Anna Velonika. „Die Rückkehr der Russophilen in die ukrainische Geschichte: Neue Aspekte der ukrainischen Nationsbildung in Galizien, 1848-1914,“ in Jahrbücher für Geschichte Osteuropa 49, 2001
Wendland, Anna Velonika. „Die Rückkehr der Russophilen in die ukrainische Geschichte: Neue Aspekte der ukrainischen Nationsbildung in Galizien, 1848-1914,“ in Jahrbücher für Geschichte Osteuropa 49, 2001
ハプスブルク時代のガリツィアに存在したルソフィル勢力をウクライナ史のなかに置き直す試み。ルソフィルはルテニア文化運動に起源を持ちユニエイト聖職者と緊密な関係にあったにもかかわらず、20世紀に入ってポピュリスト勢力に主導権を奪われて以降、ロシアと結んだ裏切り者として批判されてきた。ポピュリストの立場を引き継いだウクライナ民族史観では、ルソフィルがかつてルテニア主義の構築に果たした役割は横領され、ルソフィルはロシア帝国によって持ち込まれた反ウクライナ運動だと定義された。そのような趨勢に対し、本論はガリツィアでのルソフィルの活動を再考し、ルソフィルがロシアからの輸入品ではなく純ガリツィア的な保守運動であり、さらに彼らの理論と実践がポピュリストのウクライナ・ナショナリズム運動に多大な影響を及ぼしたことを明らかにしている。その際著者はルソフィルの再定義のみならず、単線的なウクライナ・ナショナリズム史やガリツィア=ウクライナのピエモンテ論の超克というより大きな課題をも提示した。
一時はガリツィア=ウクライナのピエモンテで片付けかけていたが、最近ガリツィアについて読むにつれかなり考えを改めた。ユニエイト聖職者は基本的に保守派で、ポピュリストからはルテニア人に欠けている貴族の立場にあたる存在として敵視されていたということ、さらにルソフィルやアルト・ルテニア主義者は1910年頃まで民衆からも人気のある勢力だったということが分かってきた。さらに本論ではルソフィルへの関与をめぐり、単なる汎スラヴ主義者と多民族帝国間の秩序の維持を重んじるロシア帝国政府の立場がしっかり区別されていたが、これはロシア・ナショナリズム論でも重要な視点だろう。
本論を前提として、第一次世界大戦の時代に反ロシアがウクライナ・ナショナリズムの主要路線となり、ルソフィルがウクライナ・ナショナリズムにおける立場を失ってゆく様を調べていければ面白そう。
2015/04/26
ドイツの町と紋章8 ヴッパータール
ヴッパータールは現存する世界最古のモノレールが走っていることで有名な町。現在も市民の足として活躍しており、僕も中央駅から一駅分乗った。ヴッパー川の上でぶら下がり轟音をたてて走る車両は迫力があるが、乗ってみると意外と静かで快適だった。
他に見どころはなさそうだが、それでも人口30万人超というから驚き。NRW。
紋章は以下の通り。
ここでもお馴染みのベルギッシュ・ライオンが用いられている。
ライオンが前足でつかんでいるのは「ローマのラウレンティウス」という聖人を象徴する格子であり、脚の下の糸の塊は町の主要産業である製糸業を表している。実は格子と糸は1929年に生れたヴッパータール市をかつて構成していた二つの町の紋章にそれぞれ用いられていた。すなわち、以下左図が旧エルバーフェルト市、右図が旧バルメン市の紋章であったという。
写真はやはり空中鉄道。
ドイツの町と紋章7 デュッセルドルフ
デュッセルドルフはノルドライン=ヴェストファーレン州の州都であり、ドイツで最も重要な五つの経済都市の一つである。多くの日系企業がヨーロッパの拠点を置いている。同じ州の最大都市ケルンと多くの面でライヴァル関係にあることでも知られる。
ここは二時間ほど歩いただけなのだが、目当てだった日本人が経営するラーメン屋の麺が異常に柔らかかったのが一番の印象。
紋章は以下の通り。
かつての紋章にはライン川との関わりを示す錨のみが描かれていたが、16世紀から錨を前足で握る赤いライオンが加わった。このライオンはレヴァークーゼンのものと同様、ベルク公国のベルギッシュ・ライオンである。
度重なる変容ののち、1938年に紋章学者Otto Huppが今日の形に定めた。
写真はラーメン屋。
2015/04/25
ドイツの町と紋章6 ブリュール
ブリュールはケルンの南に接する都市で、当時住んでいた部屋のホストに車で連れて行ってもらった。世界遺産に登録されているアグスストゥスブルク城やファルケンルストの前まで行って「中は独りでじっくり見にこい」と言われすぐに引きかえすだけのドライブだった。結局そのあとは訪れずじまいで、まともな写真もない。
他にもマックス・エルンストの博物館やファンタジーランドとかいう遊園地もある。
紋章は以下の通り。これは変わり種か。
この紋章は1319年の参審裁判官(Schoeffe)の印章に由来しており、ケルン司教座の十字架模様の盾の向こうに聖使徒ペトロが描かれている。右手に二つの鍵、左手に福音書を握り、七人の参審裁判官に囲まれている。
ドイツの町と紋章5 アーヘン
語学学校の一週目を終えてまず訪れたのがアーヘン。あれから色々な教会を訪れたが、アーヘン大聖堂の美しさと複雑さはかなり独特だった。記録はここ。
紋章は以下の通り。右は大紋章である。
黄色の背景に、赤い爪、赤い舌の黒い鷲が描かれている。かつての帝国自由都市として、今日もなお黄色の背景と黒い鷲の組み合わせという伝統を保っている。現在の紋章は1980年に市議会で制定されたものである。
写真は意外と小さいカール大帝像。
ドイツの町と紋章4 ドゥーレン
ケルンからアーヘンに行く途中で一時間ほど寄ったのがドゥーレン。記録はここ。
人口は9万人弱とバイエルン基準ではかなりの大都市だが、特に見どころはなかった。さすがノルドライン=ヴェストファーレン。
紋章は以下の通り。
上部には赤い爪の鷲が描かれ、帝国自由都市としての起源を示している。下部では赤い舌のライオンが歩いているが、これは市がかつてユーリヒ公によって支配されていたことに由来する。
ちなみに、ユーリヒ公の紋章は以下の通りである。
写真は、ドゥーレン駅にあった鉄道開通記念のファサード。ドゥーレン郡に鉄道が敷かれたことを記念するもので、ドゥーレン市をはじめとした同郡の町の紋章が描かれている。
多くの町の紋章にユーリヒ公由来と思われるライオンが見て取れる。
2015/04/23
ドイツの町と紋章3 トロイスドルフ
レヴァークーゼンに行った日の午後訪問したのがトロイスドルフ。当時の記録はここ。
ほとんど何もしていないのだが、後から調べると世界でも珍しい絵本博物館なるものがあったらしい。知ってても行かなかっただろうけど。
紋章は以下のようで、素人目にはかなり珍しく映る。
この紋章は20世紀後半の自治体改革ののちに定められたもので、TがTroisdorfの頭文字を、四つの円は合併前の自治体を表している。分子を思わせるT字の形状は、市の化学工業に由来する。
写真はトロイスドルフ駅。郊外だなあ。
ドイツの町と紋章2 レヴァークーゼン
レヴァークーゼンにはケルンに来て三日目くらい、おそらくまだホテル暮らしをしていた頃に訪れた。ブログをしっかり更新していた時期なので、ここにまとめてある。
紋章は以下の通り。ライオンの表情はともかく、真ん中の黒い帯が印象的。
Wikipediaを要約。
- レヴァークーゼン市の紋章には、銀色の背景に青の王冠、舌、爪を持つ尾が二つの赤いベルギッシュ・ライオンが描かれており、黒い鋸状の横帯に覆われている。1976年にケルンにて授与された。
- ライオンはかつてこの地にあったベルク公国の紋章獣で、合併前の各市の紋章から受け継がれたものである。鋸状の横帯は1883年のオプラーデン市の紋章からとられたもので、元は13世紀のGerhardとGisoの兄弟に由来する。
- 以前は1923年にプロイセンからヴィースドルフ市に授与され、1930年にレヴァークーゼン市によって引き継がれた別の紋章が用いられていた(左図)。そこにはライオンとともに小舟が描かれており、長い伝統のあるライン川の水運を表している。
- 1970年代から紋章の代わりにロゴマークが用いられることも多くなった。これは、緑色の正方形に白い縦帯が走っているものである(右図)。
写真は街の誇り、バイヤー・レヴァークーゼンの公式ショップ。
2015/04/22
ドイツの町と紋章1 ケルン
留学も終盤ということで、訪問した都市をゆっくり振り返りたいと思う。書くことがないこともあるだろうし、ついでにその町の紋章についても調べる。
最初はもちろんケルンで、語学学校に通っていた二か月を過ごした町。今思えばほとんど中心部と部屋を借りていたローデンキルヒェン付近にしかおらず、少し勿体なかった。大聖堂、Domに通い詰めた一方、他の史跡はほとんど無視していた。ケルシュの細いグラスとNeumarktそばのPommesの店が懐かしい。いつも賑やかで、醜くも愛すべき町だった。
紋章は以下の通り。左が大紋章で、右が市旗に紋章を重ねたもの。
以下Wikipediaを要約すると、
- 剣と笏を手にした双頭の鷲が描かれており、これは1475年以来帝国自由都市として神聖ローマ帝国に属していたことに由来する。
- ケルンはリューベックとともにハンザ同盟の共同設立都市でもあり、盾は赤と白のハンザ・カラーである。
- 三つの王冠は12世紀以来ケルン市の紋章であり、東方の三博士に由来する。1164年にケルンの大司教がミラノから運んできた三博士の聖遺物が大聖堂の祭壇に保存されているという。
- 11の黒い「炎」は16世紀にケルン市の紋章に現れ、聖ウルシュラ信仰に由来する。ウルシュラは聖地巡礼の旅の帰路、フン族によってケルンで殺害されたブルターニュの王妃をモデルとした伝説の人物である。11人、あるいは11000人の伝説の若い女性たちが、雫の形で紋章に表されている。
- ケルン市の旗は赤と白で、紋章を重ねて掲げられることが多い。
盾の部分はしょっちゅう見たけど、大紋章がこんなんだとは知らなかったな。
写真はケルンの紋章を模したロゴマークのケルシュ、früh。
2015/4/22
・読んだもの
①Remer, Claus. Die Ukraine im Blickfeld deutscher Interessen: Ende des 19.Jahrhunderts bis 1917/18. Frankfurt a.M., 1997
②Hausmann, Guido. „Das Territorium der Ukraine: Stepan Rudnyc’kyjs Beitrag zur Geschichte räumlich-territorialen Denkens über die Ukraine,“ in Andreas Kappeler (Hg.), Die Ukraine: Prozesse der Nationsbildung. Köln/Weimar/Wien, 2011
①は三週間ほどかけてようやく読み終えたモノグラフ。基本的にフィッシャー派のドイツ東方政策研究のケーススタディだが、同時代のパンフレットをかなり多く使っており、ひとまずリスト化した。これらを別の形で読み替えられれば面白そう。
②はガリツィア生まれの地理学者、Stepan Rudnyc'kyjについての論文。彼は地理学者の立場からウクライナの一体性やロシア、ポーランドとウクライナとの差異を主張しており、一次大戦時では同盟国が支援するウクライナ解放同盟から著書を出版している。戦後はプラハを経て20年代にソ連のハルキフに向かうが、ロシアやソヴィエトの地理学界とは対立し、スターリン時代に粛清された。地理学とナショナリズムの関係を読み取っても面白いし、ガリツィアの知識人ナショナリストの一例とも見れる。
2015/04/13
2015/4/13
・読んだもの
Borowsky, Peter. „Paul Rohrbach und die Ukraine. Ein Beitrag zum Kontinuität Problem,“ in Imanuel Geiss und Bernd Jürgen Wendt (Hg.), Deutschland in der Weltpolitik des 19. und 20. Jahrhunderts. Düsseldorf, 1974
ドイツ言論界の重要人物であったパウル・ローバッハのウクライナ論についての論文。19世紀末から戦後の冷戦期に渡る長い文筆生活において、ローバッハは一貫して東ヨーロッパにおけるウクライナ問題の重要性とウクライナ国民国家がドイツにもたらしうる潜在的利益を主張し続けた。保守派のドイツ・ナショナリストであったローバッハだが、第一次世界大戦では現地のナショナリズムを無視しひたすらドイツの影響圏への編入をかかげる全ドイツ派や、地主や君主主義者と近しいスコロパツキイをウクライナ国の首領にすえたOHLとは対立した。ワイマール下でもウクライナ問題を主題とした雑誌を刊行し、ナチ政権下でも文筆活動を許された。ローバッハ自身は倫理的な理由で初期よりナチ党に批判的であったが、東方政策についての主張は重なる部分も多かった。戦後は第二次世界大戦でのナチス軍のウクライナでの蛮行を批判し、引き続きソ連切り崩しのためのウクライナ・ナショナリズムの重要性を強調した。
ローバッハの周辺の人物としてアクセル・シュミット、ヨハネス・ハラー、オットー・ヘッチュ(主張は逆だが)などがいるが、このへんの一次大戦でロシア問題や東方政策について語っていた人々をいずれ整理しなければならない。ハラーとヘッチュについては日本語の論文がある。
前川陽祐「第一次世界大戦期ドイツにおけるオットー・ヘッチュとヨハネス・ハラーによるロシアをめぐる論争 : 政治議論としての歴史論争」『早稲田大学大学院文学研究科紀要』54-4、2009
前川陽祐「ヴィルヘルム期ドイツにおけるオットー・ヘッチュの東方政策論の形成過程1900-1914 ―ロシア論・ポーランド論を中心に―」『立正西洋史』26、2009
2015/04/02
2015/4/2
・旅行メモ
3.18
ベルリン最終日であり、事前にチェックしていた場所を点で巡る。北駅そばのベルリンの壁記録センター、南部のテロルのトポグラフィーには多くの研修旅行中の学生がみられた。テロルのトポグラフィーはナチスによる様々な集団に対するテロル(日本語ではテロと区別されて訳されると思うが、独語では同じTerrorなのでそのあたりの解説もされていた)についての博物館で、日常的な抑圧にも目配りがされており強制収容所にあるような展示より広がりがあった。
最後にもう一度クーダムを散策し、バスターミナルへ。このバスでチューリンゲンの州都エアフルトへと向かう。
深夜に到着したホテルでの事件は思い出したくないのでもう書かない。
3.19
旅行最終日。近距離でならんだチューリンゲンの三つの町、エアフルト、ワイマール、イェナを西から順にめぐる。
州都であるエアフルトは最も華やかな町で、広場や市庁舎、大聖堂がそれぞれ立派。晴天のおかげで中心部の歩行街もにぎわっていた。大聖堂広場の屋台でチューリンゲンソーセージを試した。
ワイマールは古典主義の都として世界遺産に登録されているらしいが、町自体は静か。ゲーテの家、シラーの家、バウハウス博物館などの名所は素通りしたが、唯一少しはずれにある墓地だけゆっくり見学した。墓地の中になぜかロシア正教会があり、小さいながら派手な内装も見学できた。
イェナではミュンヘン行ICEの待ち時間があったため最も長く滞在したが、三都市では最も退屈だった。東ドイツ時代に建てられた高層ビルイェナタワーが周囲の街並から浮きまくっており、どこから撮ってもカオスな写真になった。
バス移動が多かったこの旅だが、最後は特急列車ICEに乗り静かにビールを飲むという快適な時間を過ごす。途中列車がニュルンベルクで1時間くらい動かなくなり、ミュンヘンに着いたころには2時で地下鉄の終電を逃し終夜バスで帰るというトラブルもあったが、無事3週間の旅を終えて自室に帰り着いた。
・マイダン広場
革命の象徴となったマイダンとそこに集う人々についての短い動画。革命の展示や花束など前の旅行で見たものも映っている。着ぐるみ野郎共も。
2015/02/20
2015/2/20
・読んだもの
Baumgart, Winfried. Deutsche Ostpolitik 1918: von Brest-Litowsk bis zum Ende des Ersten Weltkriegs. Wien/München, 1966
表題の通り、1918年のドイツ帝国の東方政策の歴史。以下、気づいた特徴を挙げておく。
・分析されているのは主にドイツ国内の重要人物で、とりわけ外務省と最高司令部の対立が東方政策の軸とされており、それぞれの中心人物であるキュールマン、フォン・ヒンツェとルーデンドルフの構想が多く引用されている。主要な個人を分析対象とする手法や、ルーデンドルフの「帝国主義」的な構想に批判的である点(のちのナチズムへの連続性を示唆してもいる)で、概括すればフィッシャーの業績を個別研究として深化させたものだと言えそうだ。
・表題の「東方政策」は、「対ボリシェヴィキ政策」と読み替えることもできる。フィンランド、ウクライナ、黒海艦隊、カフカ―スの問題は基本的にドイツとボリシェヴィキを主体とし、現地の民族主義政権やドイツの同盟国には言及はあるものの、二次的なアクターにとどまっている。また、ロシア大使を除き、現地のドイツ人へ視線が向けられることは相対的に少ない。
・1918年のウクライナ進出はルーデンドルフの帝国主義的構想が経済的にも破綻していた格好の例とされ、スコロパツキイ政権は基本的にロシアの君主主義者寄りの傾向を伴ったドイツ帝国の傀儡政権としての役割しか与えられていない。その点で、ウクライナ問題が混乱に至った原因はそもそもドイツ帝国の外務省と最高司令部の双方が明確な計画を全く欠いていたことだとし、スコロパツキイには多少なりともドイツと「ウクライナ」の調停者としての姿をあてがったFedyshyn(1971)の研究とは距離がある。
E.H.カー『危機の二十年―理想と現実』(原彬久訳)岩波文庫、2011年 も読了。
2015/02/15
2015/2/15
・第一次世界大戦とバイエルン軍
ドイツ語Wikipediaからのメモ。
1871年のドイツ帝国建国でプロイセン中心の国民国家に吸収された諸領邦だが、規模の大きな領邦には憲法で自衛権が留保され、バイエルンも自らの軍隊の維持を認められた。しかし有事の際は帝国軍の一員として編成され、当初着用していた独自の制服はやがてプロイセン式に改められた。
1914年8月1日の動員で最高司令権は皇帝に譲渡され、バイエルン軍は西部戦線で戦うルプレヒト王太子麾下の第六軍に所属した。バイエルン軍の自らの司令部への従属は度々の再編成によって解消され、9月のロートリンゲンの戦いがバイエルン軍が単一の軍部隊として出撃した最後の舞台となった。
第六軍はバイエルン王国軍第一、第二、第三軍団及び第一予備役軍団で構成された。自国の軍隊を自国の王太子が率いるというこの編成はドイツ帝国においてバイエルンが占めていた地位を示していると言える。ザクセン軍にも第一、第二軍団と第一予備役軍団がかつてのザクセン陸相フォン・ハウゼン麾下の第三軍に編成されるという配慮が見られたが、バイエルン軍と同様戦争の経過とともにプロイセン軍などとの混合が進んだ。ヴュルテンブルク軍の軍団は第五軍に帰属した。その他の領邦の軍隊は帝国建国時に既にプロイセン軍に編入されていた。
2015/02/12
2015/2/12
・読んだもの
トロツキー『ロシア革命史』(藤井一行訳)(全五巻)岩波文庫、2000-2001年
必読本をようやく消化したという感じだが、研究と議論の蓄積が頭にない時期に読んでいたらトロツキー(と訳者)の筆に呑まれていたかもしれない。この十月革命クライマックス史観が日本人研究者の手による最新(1973年!)の革命史である長尾久の著書の基礎となっていることを自ら確認できた。革命や戦争状態についての一般的な考察はこっそり参考にできそう。
個人的には、読んでいてこちらが恥ずかしくなる程の自己演出は文筆家トロツキーの魅力の一部。
2015/02/06
2015/2/6
・読んだもの
Umbach, Maiken. „Reich, Region und Föderalismus als Denkfiguren in politischen Diskursen der Frühen und der Späten Neuzeit,“ in Dieter Langewiesche und Georg Schmidt (Hg.), Föderative Nation: Deutschlandkonzepte von der Reformation bis zum Ersten Weltkrieg. München, 2000
近代ドイツ史における連邦主義的思考様式を、神聖ローマ帝国の国制を援用しての「近代と伝統の結合」という視点から考察したもの。1785年の君侯同盟が代表する後期啓蒙主義時代と国民国家が形成され、労働運動が高まりを見せるヴィルヘルム時代が扱われ、どちらの時代においても連邦主義はプロイセン中心の中央集権国家へのアンチテーゼとして作用していた一方、前者では個人主義的、エリート的意味合いが強く、後者ではナショナル・アイデンティティの統合的な構成要素であったと述べる。単に近代以降も連邦主義の伝統が継承されていたというわけではなく、近代化が進むなかで時宜に応じてその伝統がある主張、立場を正当化するために援用された。
これぞ西洋史という論文で好みだが、そのぶん観点が完全に一国史なので僕のテーマで使えるかどうかは分からない。少なくとも援用とか擬制とか流行ってはいるが。
・現代ウクライナの重要人物
先日は何も書かずにこれだけ載せたが、Kappeler, Andreas. Kleine Geschichte der Ukraine. München, 2014を読了したので登場人物たちについて調べている、ということ。
Victor Pinchuk (1960-)
ドニプロペトロフスクを地盤とするオリガルヒ。アフメトフに次ぐ富豪。1998年から2006年まで議会議員を務めた。クチマの娘と結婚。
Ihor Kolomoyskyi (1963-)
ドニプロペトロフスクのオリガルヒで、ウクライナ第三位の富豪。かつてユリア・ティモシェンコ・ブロックを支援した。2014年3月、暫定大統領トゥルチノフによってドニプロペトロフスク州知事に任命された。
Arseniy Yatsenyuk (1974-)
現ウクライナ首相。ティモシェンコ派の全ウクライナ連合「祖国」の指導者の一人だった。2014年9月に親欧米路線の人民戦線党を結成。
Serhiy Tihipko (1960-)
2002年から2004年までウクライナ国立銀行総裁。2010年、2014年の大統領選挙に出馬するも落選。
Yuriy Lutsenko (1964-)
ペトロ・ポロシェンコ・ブロック党首。元内務大臣。2010年から2013年まで投獄されていた。
Oleh Tyahnybok (1968-)
極右政党スヴォボーダの党首。1998年、2002年の選挙で議会に議席を獲得した。ユーシェンコのブロックと連携したが、排外主義的発言により追放された。マイダン後の選挙でも票は伸びず。
Yurii Andrukhovych (1960-)
現代ウクライナの最重要作家、知識人。代表作は『12の輪』。
Oksana Zabuzhko (1960-)
作家。ポスト・コロニアルあるいはフェミニズム的作風が特徴。代表作は『ウクライナのセックスに関する野外研究』。
Serhiy Zhadan (1974-)
作家。ハリコフ在住で、東ウクライナの工業地域の若者たちを描く。代表作は『デペッシュ・モード』、『アナーキー・イン・ザ・UKR』。
Andrey Kurkov (1961-)
ロシア語作家。ブラック・ユーモアとポスト・ソヴィエト・リアリズムが特徴。代表作『大統領の最後の恋』は邦訳がある。
2015/02/05
2015/2/5
・読んだもの
Wolff, Larry. The Idea of Galicia: History and Fantasy in Habsburg Political Culture. Stanford, 2010
ポーランド分割で「発明」され、ハプスブルク帝国崩壊まで存在したガリツィアの「地域イメージ」を時代を追って考察したもの。以下、各章の時代区分とキーワードをまとめておく。
1. ガリツィアの「発明」、ヨーゼフ主義、文明化
2. メッテルニヒ、ドイツ文化+ポーランド文化、Uncertainty、Aleksander Fredro
3. マゾッホ、1846年ポーランド貴族虐殺、農民と王朝へのloyality
4. 虐殺後の帝国批判、シュタディオン伯とルテニア人
5. 1848年革命、フランツ=ヨーゼフ、ガリツィア分割⇔一体性、Czas
6. ポーランド的自治ガリツィア、ルテニア文化運動、povertyと移民
7. 世紀末、1894年博覧会、98年エリザベート暗殺とloyality
8. ポーランド⇔ルテニア、ユダヤ人の皇帝崇拝、1908年Potocki暗殺
9. 第一次世界大戦、ポーランド清算委員会、パリ講和会議、ガリツィア消滅
10. ガリツィアと「西ウクライナ」、アメリカのユダヤ系移民、21世紀のガリツィアとハプスブルク
しかし文化史家らしいというか、飾った英語だったな・・・。
2015/02/04
2015/2/4
・読んだもの
Langewieshe, Dieter. „Föderativer Nationalismus als Erbe der deutschen Reichsnation: Über Föderalismus und Zentralismus in der deutschen Nationalgeschichte,“ in Dieter Langewiesche und Georg Schmidt (Hg.), Föderative Nation: Deutschlandkonzepte von der Reformation bis zum Ersten Weltkrieg. München, 2000
ドイツナショナリズムの伝統を「連邦的ナショナリズム」と名付け、近代ドイツ史において連邦主義がドイツ・ネイションの一体性概念や1871年に誕生した国民国家といかに共存していたかを政治、経済から教育、祭典、記念碑保護などに至る様々な分野から論じたもの。19世紀前半はネイションビルディングがドイツネイション全体と個々の王朝という二つの地平で進展していたとか、国民国家において各地の王侯貴族が連邦主義の維持に寄与していたとか、興味深い指摘も多かった。
歴史的に継承された連邦主義は、国民国家形成でその目標設定を大きく変えた。連邦的ナショナリズムは、個々の国家を州へと陪臣化することで、もはや歴史的に育ってきた国家的多様性を超克する国民国家には対抗しなかった。反対に、連邦的ナショナリズムは地域や個々の国家の伝統を文化面で守っていたため、いまや新たな国民国家がドイツ社会において広く、素早く受容されることに著しく寄与した。人は連邦主義者や地域主義者を自任しながら、国民国家に適合していった。故郷運動(Heimatbewegungen)は国民国家と争ったのではなく、それを連邦的に整形したため、国民国家を受け容れやすいものとしたのだ。もしかするとこの点にイタリアナショナリズムの進展との中心的な相違が見出せるかもしれない。(S.241)なるほどね。
・現代ウクライナの重要人物
Viacheslav Chornovil (1937-1999)
ジャーナリスト、ソヴィエト期ウクライナの代表的な反対派。1976年のウクライナ・ヘルシンキ連合のメンバー。人民運動「ルフ」の最重要人物であり、1991年の大統領選挙に出馬するも落選した。自動車事故で死亡。
Levko Lukyanenko (1928-)
ソヴィエト期ウクライナの代表的な反対派、ヘルシンキ連合メンバー。ウクライナ独立宣言の起草者である。2005年にユシチェンコによってウクライナ英雄に叙された。
Mykola Rudenko (1920-2004)
作家。ソヴィエト期ウクライナの代表的な反対派、ヘルシンキ連合創設者。
Pyotr Grigorenko (1907-1987)
ソヴィエト軍少将。ソヴィエト期ウクライナの代表的な反対派。1977年にアメリカに移住し、ヘルシンキ連合の活動に参与した。
Ivan Drach (1936-)
詩人、文芸批評家。ソヴィエト期ウクライナの代表的な反対派、「ルフ」の中心メンバー。2006年にウクライナ英雄に叙された。
Yuriy Shcherbak (1934-)
医者、作家。1987年「緑の世界」党を設立、1990年に「緑の党」に改称。90年代以降は西側諸国の大使を歴任した。
Rinat Akhmetov (1966-)
ウクライナを代表するオリガルヒ。ドネツクを地盤とし、政界に多大な影響力を持つ。シャフタール・ドネツクのオーナー。ウクライナが東西の狭間で上手く駆け引きすることを望んでおり、現在は事態の鎮静化を待ちながら表舞台に上がるのを避けていると思われる。
2015/02/03
2015/2/3
Jones, Heather. “The German Empire,” Robert Gerwarth and Erez Manela (ed.), Empires at War
1911-1923. Oxford/N.Y., 2014
地球規模の帝国間戦争として第一次世界大戦を捉えた論集のうち、ドイツ帝国を扱った章。大戦中の言説で「ドイツ帝国」という語は、主体の立場に応じ、1871年に誕生したいわゆる"Reich"、Mitteleuropa構想に代表されるようなヨーロッパ大陸帝国、アジア、アフリカ、中東、太平洋に領土を擁する植民地帝国の三つを含意しており、さらにそれらが交差した複雑な構造を持っていた。帝国概念が三重だったとするこの見取り図は、海洋帝国とも大陸帝国とも分類できないドイツ帝国の特殊性を理解するうえでとても分かりやすい。
Reichの「内的植民地」とも呼ばれる分割ポーランドの問題はやや後景に退いている気もするが、ドイツ帝国自身がイギリス・フランス型の国民国家=帝国を目指していたことを念頭におけば、同時代の帝国概念の見取り図としてはむしろ適切かもしれない。
その他ためになる指摘も多く、大きな話が好きな僕としては最近流行の暴力とかについて読むより楽しかった。少なくとも序章とロシア帝国、オーストリア=ハンガリーの章は読まなければならない。
著者のHeather JonesはLondon School of Economicsの歴史家で、専門は第一次世界大戦。詳しくは良くわからないが、出身はダブリンのトリニティ・カレッジのようだ。トリニティ・カレッジの図書館行きたい。
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