2015/02/20

2015/2/20


・読んだもの

Baumgart, Winfried. Deutsche Ostpolitik 1918: von Brest-Litowsk bis zum Ende des Ersten Weltkriegs. Wien/München, 1966

表題の通り、1918年のドイツ帝国の東方政策の歴史。以下、気づいた特徴を挙げておく。

・分析されているのは主にドイツ国内の重要人物で、とりわけ外務省と最高司令部の対立が東方政策の軸とされており、それぞれの中心人物であるキュールマン、フォン・ヒンツェとルーデンドルフの構想が多く引用されている。主要な個人を分析対象とする手法や、ルーデンドルフの「帝国主義」的な構想に批判的である点(のちのナチズムへの連続性を示唆してもいる)で、概括すればフィッシャーの業績を個別研究として深化させたものだと言えそうだ。

・表題の「東方政策」は、「対ボリシェヴィキ政策」と読み替えることもできる。フィンランド、ウクライナ、黒海艦隊、カフカ―スの問題は基本的にドイツとボリシェヴィキを主体とし、現地の民族主義政権やドイツの同盟国には言及はあるものの、二次的なアクターにとどまっている。また、ロシア大使を除き、現地のドイツ人へ視線が向けられることは相対的に少ない。

・1918年のウクライナ進出はルーデンドルフの帝国主義的構想が経済的にも破綻していた格好の例とされ、スコロパツキイ政権は基本的にロシアの君主主義者寄りの傾向を伴ったドイツ帝国の傀儡政権としての役割しか与えられていない。その点で、ウクライナ問題が混乱に至った原因はそもそもドイツ帝国の外務省と最高司令部の双方が明確な計画を全く欠いていたことだとし、スコロパツキイには多少なりともドイツと「ウクライナ」の調停者としての姿をあてがったFedyshyn(1971)の研究とは距離がある。


E.H.カー『危機の二十年―理想と現実』(原彬久訳)岩波文庫、2011年 も読了。

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