2015/02/15

2015/2/15


・第一次世界大戦とバイエルン軍

ドイツ語Wikipediaからのメモ。

1871年のドイツ帝国建国でプロイセン中心の国民国家に吸収された諸領邦だが、規模の大きな領邦には憲法で自衛権が留保され、バイエルンも自らの軍隊の維持を認められた。しかし有事の際は帝国軍の一員として編成され、当初着用していた独自の制服はやがてプロイセン式に改められた。
1914年8月1日の動員で最高司令権は皇帝に譲渡され、バイエルン軍は西部戦線で戦うルプレヒト王太子麾下の第六軍に所属した。バイエルン軍の自らの司令部への従属は度々の再編成によって解消され、9月のロートリンゲンの戦いがバイエルン軍が単一の軍部隊として出撃した最後の舞台となった。
第六軍はバイエルン王国軍第一、第二、第三軍団及び第一予備役軍団で構成された。自国の軍隊を自国の王太子が率いるというこの編成はドイツ帝国においてバイエルンが占めていた地位を示していると言える。ザクセン軍にも第一、第二軍団と第一予備役軍団がかつてのザクセン陸相フォン・ハウゼン麾下の第三軍に編成されるという配慮が見られたが、バイエルン軍と同様戦争の経過とともにプロイセン軍などとの混合が進んだ。ヴュルテンブルク軍の軍団は第五軍に帰属した。その他の領邦の軍隊は帝国建国時に既にプロイセン軍に編入されていた。

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