2015/03/01

2015/3/1


・旅行メモ

現在ウクライナを旅行している。まとめて旅行記を書くつもりはなく、今回はPCを持ってきているのでたまにここに書いていく。

2.26
午後の便でキエフ、ボルィスピリ空港に到着。到着ロビーはかなりの人だかりで、タクシーの客引きが秒単位で寄ってくる。ターミナルDを出てすぐ市内行きのバス停がある。地下鉄ハルキフスカ駅を経由して鉄道駅へ向かうルートで、僕は宿がハルキフスカから乗り換えなしで行ける場所だったのでそこで降りた。
宿は名所「金の門」のすぐ隣で、市内中心部。2014年オープンらしく、準備はしてたんだろうがよく踏み切ったなと思った。客層はウクライナ人ロシア人がほとんどだった。

2.27
キエフは二度目だが、前回より格段関心が増しているので一度行った場所も気にせず歩く。戦争や革命は日常を政治化すると言うが、ガードレールや標識、花壇などが国旗の色で塗られていたり窓に国旗を掲げる家があったりしたのを見て時折それを感じた。革命の舞台、マイダン独立広場には慰霊のロウソクや花束がたくさん置いてあるが、それ以外は市民生活の中心としての平時の役割を果たしている。観光の中心でもあり、前もお目にかかった着ぐるみ商法に加え、慰霊碑の前で白い鳩と一緒に撮影という平和のイメージを利用した悪徳商法も流行していた。さらに前回は共産主義ノスタルジーの土産物を並べていた露店街がウクライナ・ナショナリズム路線に方向転換していたり、ともかく皆逞しい。
この日はしばらく歩いたのち、ブルガーコフ博物館とチェルノブィリ博物館を訪問した。フリブニャの暴落で何もかも安い。
夜鉄道駅に移動し、ヴォルィニのコーヴェルに向かう夜行列車に乗った。

2.28
朝7時半にコーヴェルに到着。ここはポーランドのヘウムへと向かう経由地として寄っただけであり、夜行列車であまり眠れず疲れていたので駅のすぐ近くにあるバスターミナルで待機した。キエフからヘウムへ向かう夜行列車もあるのだが、国際列車のため僕のルートより3倍くらい高く、またヘウムに朝5時台に着いてしまうのでそれは選ばなかった。
ウクライナからポーランドへの国境は意外とスムーズに通過し、ヘウムの町はずれのバスターミナルで下された。そこへは市内バスすら通っておらず、露店の店員に地図上のなんとなくの場所を示してもらい、コンパスを頼りにとりあえず歩き、途中で道を聞いた人が運よくウクライナ人で鉄道駅までの行き方を説明してもらえた。
ヘウムはウクライナ人民共和国がブレスト=リトフスクの講和交渉でひたすら領有を主張していた地であり、それだけの理由で訪れたのだが、来てみればただのポーランドの田舎町だった。中心部のグダニスク広場の向かいにまあまあ立派な正教会の聖堂があったのが名残といえば名残りか。
夕方鉄道に乗りルブリンに宿泊。丘の上に旧市街が広がる「ヨーロッパの美しい町」だった。ここはポーランドとリトアニアの合同が結ばれた地で、リテフスキ広場にはその記念碑がある。

3.1
最大の名所であるルブリン城を見学し、バスに乗って再びウクライナへ戻る。国境越えもあったりで5時間くらいかけて目的地のリヴィウに到着した。バスターミナルではなく中心部のオペラの前で降ろしてもらい、自由広場の日曜日の活気に驚かされた。宿までの短い道で、リヴィウ旧市街はヨーロッパの有名観光地と比べても遜色ない街並みだと思った。前回の滞在ではそこまでの印象はなかったのだが。
この日は落ち着くため個室をとっていたので、夕食だけ近くのレストランで済まし夜は部屋でビールを飲んだ。

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