2015/03/06

2015/3/6


・旅行メモ

3.4
朝、まず最大の名所であるチェルニーフツィ大学へ向かう。ここ戦間期のルーマニア統治下までブコヴィナ・ダルマチア府主教の邸宅として使われており、その名で世界遺産にも登録されている。行ってみるとひっきりなしに大学生が往来するのみで観光客は皆無だったが、敷地内には立派な教会も残っており、そこでは多くの地元信者たちが祈っていた。ブコヴィナとダルマチア(現クロアチア)の統一主教区というのでオーストリア=ハンガリーの広大さが分かるというもの。
その後は劇場などのある中心部を歩き、リヴィウ発のチョコレートショップのカフェで一休みし、バスターミナルへ向かった。目的地のカームヤネツ=ポヂーリスキイへにはマルシュルートカで2時間半程の道程で、夕方前には到着。しかしこの日も観光は翌日に回し、珍しく泊まった普通のホテルの個室でのんびり過ごした。夜はロンドンのパブを意識しているらしいガラガラのレストランでステーキを食べた。

3.5
カームヤネツはスモトリチ川を境に旧市街と新市街が分かれており、ホテルは新市街にあったのでまず両者を結ぶ橋へと向かう。橋を渡ると旧市街だが、いくつかの教会を除いては見所はない。ロンプラにはチェスキー=クルムロフ的と書いてあったが、地形だけの話のようだ。旧市街を抜けた先にある中世の城はかなり立派で、塔に上れたり城壁の中の通路を歩けたりと内部の見学も楽しめた。
一通り見て回ってホテルで荷物を回収し、バスターミナル。バス移動が多くいい加減うんざりだが、今回のフメリニツキーまでのマルシュルートカが最後となる。フメリニツキーは列車に乗り換えるための経由地で、切符を買って駅前の唯一の食堂でパスタとサラダとボルシシのランチセットを食べたあとはひたすら電車を待った。
フメリニツキーからキエフへの列車はインターシティを名乗っており、乗車してみると車内は綺麗で確かにその名に恥じない。隣のおじさんに面倒な絡みをされた以外は電車の快適さを思い出させてくれるいい時間となった。キエフに着いたのは夜9時頃で、すぐ宿へと向かった。

3.6
キエフでは二泊するので、この日は一日市内観光。移動がないだけで気分がいい。朝洗濯を済ませてからゆっくり宿を出る。
まず訪れたのは第二次世界大戦で10万人以上のユダヤ人が虐殺されたバービン・ヤールの谷。概説書にもたびたび登場するガス室以前のナチスの残虐行為の代表例だが、行ってみると巨大な碑がある外には博物館はおろか解説の看板すらなかった。思っていたより小さな谷は公園の一部になっており、停留所の名に「バービン・ヤール」の文字を見つけることができたのみだった。
このバービン・ヤールの忘却が、ユダヤ人が姿を消しドイツと友好関係にあるなかその記憶を語り継ぐことにウクライナ・ナショナリズム的な意義が見いだせない現状に由来するなら、一方大飢饉記念館の展示はロシアに対峙する現在のウクライナにとって力を入れるに値するようだった。荘厳な鎮魂歌が流れる展示スペースでは、1932-33年の「ホロドモル」に加え20年代や40年代の飢饉についても語ることで、一貫してウクライナ民族を絶滅させようと図っていたというロシアの残虐さが強調されていた。さらには展示とは関係ない現在の東部地域での戦争の写真まで飾られていたのには呆れてしまった。ウクライナはホロドモルをホロコースト級のジェノサイドだと認定することを世界に訴えているが、その前に記憶と歴史の扱い方にもう少し気を遣った方がいいと思う。
その後は前回も訪れたペチェールスカ・ラーヴラへ。ウスペンスキー大聖堂のイコノスタシスは圧巻。敷地内にある書籍印刷博物館も、かつての教会写本とかの羅列かと思いきや19世紀や20世紀のナショナリズム運動と深くかかわった重要な書籍や雑誌も展示されており、なかなか面白かった。
夜はキエフで流行中のスシ・バーMURAKAMI(村神)で寿司を食べたが、残念ながら100円回転寿司以下の味。味噌汁は美味しかった。日本料理店というよりまさにバーという雰囲気で、箸と醤油が置かれた客席でワインやコーヒーだけ頼んでいる客がいるのはなんだか奇妙に見えた。

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