2015/06/16
[論文メモ] Wendland, Anna Velonika. „Die Rückkehr der Russophilen in die ukrainische Geschichte: Neue Aspekte der ukrainischen Nationsbildung in Galizien, 1848-1914,“ in Jahrbücher für Geschichte Osteuropa 49, 2001
Wendland, Anna Velonika. „Die Rückkehr der Russophilen in die ukrainische Geschichte: Neue Aspekte der ukrainischen Nationsbildung in Galizien, 1848-1914,“ in Jahrbücher für Geschichte Osteuropa 49, 2001
ハプスブルク時代のガリツィアに存在したルソフィル勢力をウクライナ史のなかに置き直す試み。ルソフィルはルテニア文化運動に起源を持ちユニエイト聖職者と緊密な関係にあったにもかかわらず、20世紀に入ってポピュリスト勢力に主導権を奪われて以降、ロシアと結んだ裏切り者として批判されてきた。ポピュリストの立場を引き継いだウクライナ民族史観では、ルソフィルがかつてルテニア主義の構築に果たした役割は横領され、ルソフィルはロシア帝国によって持ち込まれた反ウクライナ運動だと定義された。そのような趨勢に対し、本論はガリツィアでのルソフィルの活動を再考し、ルソフィルがロシアからの輸入品ではなく純ガリツィア的な保守運動であり、さらに彼らの理論と実践がポピュリストのウクライナ・ナショナリズム運動に多大な影響を及ぼしたことを明らかにしている。その際著者はルソフィルの再定義のみならず、単線的なウクライナ・ナショナリズム史やガリツィア=ウクライナのピエモンテ論の超克というより大きな課題をも提示した。
一時はガリツィア=ウクライナのピエモンテで片付けかけていたが、最近ガリツィアについて読むにつれかなり考えを改めた。ユニエイト聖職者は基本的に保守派で、ポピュリストからはルテニア人に欠けている貴族の立場にあたる存在として敵視されていたということ、さらにルソフィルやアルト・ルテニア主義者は1910年頃まで民衆からも人気のある勢力だったということが分かってきた。さらに本論ではルソフィルへの関与をめぐり、単なる汎スラヴ主義者と多民族帝国間の秩序の維持を重んじるロシア帝国政府の立場がしっかり区別されていたが、これはロシア・ナショナリズム論でも重要な視点だろう。
本論を前提として、第一次世界大戦の時代に反ロシアがウクライナ・ナショナリズムの主要路線となり、ルソフィルがウクライナ・ナショナリズムにおける立場を失ってゆく様を調べていければ面白そう。
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