2016/01/26

ドイツの町と紋章47 ドレスデン


Wappen der Stadt Dresden

ドレスデンはザクセン州の州都で、人口は50万人を超える。かつてはザクセン選帝侯国、ザクセン王国の首都として栄え、旧市街には壮麗な建築物が立ち並んでいる。その多くは第二次世界大戦中の空襲の被害を受けたが、やがて再建された。
ドレスデンの「シュトリーツェルマルクト」は1434年に始まったドイツで最も古い、また今もなお最もよく知られたクリスマスマーケットである。

紋章の左部分にはマイセンのライオン、右部分には黒いランツベルクの帯が描かれている。ライプツィヒの紋章との相違は、ただ縦帯のティンクチャー(色)にのみ存する。


ドイツの町と紋章46 ライプツィヒ


Wappen der Stadt Leipzig

ライプツィヒはザクセンの大都市で、州都のドレスデンを超える州内最大の人口を有している。バッハやメンデルスゾーンの活躍した音楽都市として知られ、1989年のデモでライプツィヒはドイツ統一運動の震源地となった。
クリスマスマーケットの時期に滞在。ライプツィヒ中央駅は町の規模に比して明らかに大きい。

紋章の左部分には赤い舌と爪を持った「マイセンのライオン」が、右部分には「ランツベルクの縦帯」が描かれている。ライオンはマイセン辺境伯としての、縦帯はランツベルク辺境伯としてのヴェッティン家の意匠であり、ライプツィヒがザクセン選帝侯国の一部であったことを示している。今日の紋章は1468年の印章まで遡ることができる。
同じくヴェッティン家の所領に属した周辺都市も、似たような紋章を有している。下左図はケムニッツの、下右図はデーリッチュの紋章で、二つの意匠の配置が異なるだけである。

Wappen der Stadt Chemnitz Wappen der Stadt Delitzsch

市庁舎の中央におそらく古い紋章。


PC130016

2016/01/25

[読書メモ] マーク・マゾワー(中田瑞穂・網谷龍介訳)『暗黒の大陸:ヨーロッパの20世紀』未来社、2015年


マーク・マゾワー(中田瑞穂・網谷龍介訳)『暗黒の大陸:ヨーロッパの20世紀』未来社、2015年。

 ヨーロッパの20世紀は、二つの戦争を経て、自由と協調、民主主義の勝利に至る華々しい道筋として描かれがちである。そこでは民主主義こそが常に真のヨーロッパ的な規範であり、ファシズムや共産主義は忌むべき逸脱であった。1989年に東欧の共産主義政権が相次いで倒れた時、自由なヨーロッパの勝利は決定づけられたのだ。しかし、マゾワーによる20世紀ヨーロッパ史は、それとはまったく異なる視座を提示する。彼によれば、「冷戦で民主主義が勝利したことで、民主主義はヨーロッパの土壌に深く根づいていると考えたいかもしれないが、歴史はそうではないことを物語っている」(23頁)。なぜなら、「暗部」と見なされてきたファシズムや共産主義も、既存のヨーロッパ的価値観のなかから生まれてきたものか、あるいはある時代にヨーロッパ全体で共有されていた思想を極端に推し進めたものに過ぎないからだ。また、周辺と見なされがちな東欧や南欧の歴史的経験に目を向ければ、事態はよりはっきりする。「ヨーロッパを自由の源と同一視する知識人の伝統は何世紀も前にさかのぼる。しかし、自由民主主義が戦間期に失敗した事実を直視し、共産主義とファシズムもまたヨーロッパ大陸の政治的遺産の一部であると認めるのならば、この世紀にヨーロッパをかたちづくってきたものは、思想や感情の緩やかな収斂ではなく、敵対的な新秩序と新秩序の間の相次ぐ暴力的な衝突だったことは否定しがたい」(493-494頁)。本書は、既存のヨーロッパ観との対比を強調するならば、20世紀ヨーロッパにおける反民主主義、反自由主義の歴史であると言えるかもしれない。

 このようなシニカルな歴史観を可能としたのは、おそらく著者マゾワーがギリシャ出身であることと無関係ではない。19世紀前半に独立を果たしたギリシャだったが、第一次世界大戦直後にトルコとの間で悪名高き住民交換を経験し、戦後初期に東西で揺れたのち、権威主義体制を経験した。議会主義が確立されヨーロッパ共同体への加入が許されたのちも、同様の経緯をたどったスペイン、ポルトガルとともに社会経済問題に苦悩している。ギリシャからの視座は、西ヨーロッパの理想主義的なヨーロッパ観を相対化するとともに、東欧の「後進性」をより冷静に評価することを可能にする。例えば、戦間期のヨーロッパ全体における議会主義への疑念と権威主義の台頭についての考察は、ピウスツキやホルティへの視線によって、より深いものとなっている。
 本書エピローグのEU主義者への冷笑と国民国家間の協調の評価はきわめてプラグマティックであり、1989年のイデオロギーと政治への幻滅を経て、実態のますます不可解な「ヨーロッパ」への参入を急ぐ旧共産圏の国々への警鐘ともなるだろう。

ドイツの町と紋章45 ニュルンベルク


Wappen der Stadt Nürnberg Großes Stadtwappen

ニュルンベルクは人口50万人を超えるバイエルン第二の都市。人口350万人のニュルンベルク都市圏の中核を形成している。
ドレスデンと並ぶ大規模なクリスマスマーケットが開催されることでも知られ、僕が行ったときには日本人もたくさん来ていた。

左が小紋章で、左半分に爪と赤い舌のついた鷲が、右半分には赤と白の斜めの帯が描かれている。斜めの帯は1260年には確認され、神聖ローマ帝国の鷲は1350年に加えられた。もっとも右部分の帯の数や色は、何度か変化している。1936年から現在の紋章が用いられている。
右は大紋章で、金色の「処女鷲」(Jungfrauensadler、ギリシャ神話の生物ハルピュイア)が、葉でできた王冠をかぶっている。これが描かれた印章は1220年から用いられ、帝国自由都市であることを表している。現在の形は1936年、小紋章と同時に定められた。

2016/01/24

ドイツの町と紋章44 インゴルシュタット


Wappen der Stadt Ingolstadt


インゴルシュタットはオーバーバイエルンでミュンヘンに次ぐ第二の都市で、バイエルン全体でも五番目の人口を有している。アウディの本拠地として有名。

紋章は、白地につめのついた青いヒョウが描かれたものである。かつて町の印章には守護聖人の聖マウリティウスが描かれていたが、やがて紋章学でヒョウと呼ばれる寓話上の生物が登場し、それが単独の意匠となった。ヒョウの紋章の起源には諸説あり、シュパンハイム家のものに由来するというものが有力で、ヴィッテルスバッハ家の神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世により授けられたという伝説もある。1340年以来、現在と同じ紋章が用いられている。

2015/09/04

[論文メモ] von Hagen, Mark. “Revisiting the Histories of Ukraine,” in Georgiy Kasianov/ Philipp Ther (ed.), A Laboratory of Transnational History: Ukraine and Recent Ukrainian Historiography. Budapest/N.Y., 2009 等三論文


von Hagen, Mark. “Revisiting the Histories of Ukraine,” in Georgiy Kasianov/ Philipp Ther (ed.), A Laboratory of Transnational History: Ukraine and Recent Ukrainian Historiography. Budapest/N.Y., 2009

Ther, Philipp. „Die Nationsbildung in multinationalen Imperien als Herausforderung der Nationalismusforschung,“ in Andreas Kappeler (Hg.), Die Ukraine: Prozesse der Nationsbildung. Köln/Weimar/Wien, 2011

Wendland, Annna Velonika. „Ukraine Transnational: Transnationalität, Kulturtransfer, Verflechtungsgeschichte,“ in Andreas Kappeler (Hg.), Die Ukraine: Prozesse der Nationsbildung. Köln/Weimar/Wien, 2011


いずれも、「ウクライナ史」へのアプローチに関する、最新の研究動向を踏まえての問題提起。

von Hagenはかつての挑発的なvon Hagen, Mark. “Does Ukraine Have a History?” in Slavic Review 54-3, 1995を振り返りながら、現在注目すべき視点をいくつか挙げている。境界領域、地域などはスラ研のおかげもあって馴染みがあるが、都市という視点はあまりとられていないように感じる(リヴィウは例外)。ともかく、多様性こそにウクライナ史の特徴があるという論点は、1995年から変わっていない。

Therは帝国という場への視点が今までのナショナリズム論に欠けていたと指摘し、ネイションと帝国政府の相互作用や、「ネイション化する帝国(ドイツやロシア)」とその臣民であるネイションのナショナリズムとの緊張関係などに着目すべきと述べる。また、ナショナリズム内部の潮流においても、帝国や王朝原理に迎合的なものが存在する場合がある。いずれの視点も、ウクライナ史によくあてはまっており、今後の可能性を感じさせる。

Wendlandはトランスナショナルヒストリー、文化交換、絡み合いの歴史の視点をウクライナ史に導入した。ウクライナ・ネイションビルディングは、フロフ論のような内在的な語りでは捉えられないトランスナショナルな運動だった。ドニプロとガリツィアの知的交流、ポーランド人からの民族理論の吸収、ディアスポラから、反ユダヤ主義、ホロドモル、ナチとの協力などの負の側面まで、ウクライナ史は文化交換と絡み合いに満ちている。さらに、相互作用の特に濃密だった都市や境界地域
、そしてそこでの同化と異化についても、研究が期待される。最後に著者は、既にウクライナのトランスナショナルな面を鋭く指摘し、自らが文化交換の主体として活動してきたミハイロ・ドラホマノフに注目する意義を、改めて述べている。

第一次世界大戦におけるウクライナ・ナショナリズムについて、ドイツ・オーストリアとウクライナ人インテリの間の文化交換を通して語ることは可能かもしれない。

[論文メモ] Magocsi, Paul Robert. “Old Ruthenianism and Russophilism: A New Conceptual Framework for Analyzing National Ideologies in Late-Nineteenth-Century Eastern Galicia,” in Paul Robert Magocsi, The Roots of Ukrainian Nationalism: Galicia as Ukraine’s Piedmont. Tronto/London/Buffalo, 2002


Magocsi, Paul Robert. “Old Ruthenianism and Russophilism: A New Conceptual Framework for Analyzing National Ideologies in Late-Nineteenth-Century Eastern Galicia,” in Paul Robert Magocsi, The Roots of Ukrainian Nationalism: Galicia as Ukraine’s Piedmont. Tronto/London/Buffalo, 2002 (first appeared in Paul Debreczeny (ed.), American Contributions to the Ninth International Congress of Slavists, Kiev 1983, Vol. II. Colombus, 1983, pp. 305-324)

ガリツィアのウクライナ・ナショナリズム研究の古典の一つ。おそらく、最初にポピュリスト史観を批判し、侮蔑的に扱われていた「ルソフィル」に光を当てた論文である。
著者はまずルソフィルとウクライノフィルの二分法を批判し、ルソフィルのなかにも時代によって異なる潮流が存在し、「老年ルテニア人」と「ルソフィル」に区別されるべきだと述べる。「老年ルテニア人」とは1848年に主役となったインテリ勢力で、ルーシの一体性、反ポーランド、ハプスブルク帝国への忠誠、ユニエイト教会との緊密性などに特徴がある。一方、著者の定義する「ルソフィル」は1890年代に登場した新たな潮流で、ロシア人との一体性、ロシア語の使用、オーストリア批判、共通の敵ウクライノフィルに対抗してのポーランド人との協力、などが特徴である。

おそらく、後の議論に影響を与えた論点は次の二つである。まず、ウクライノフィル、老年ルテニア人、ルソフィルの三勢力は19世紀前半に登場した老年ルテニア人から枝分かれしたものであり、元々共通の根を持っていたという説。これは、ウクライノフィルとルソフィルの時間超越的な二分法を退けるもので、ルソフィルをウクライナ・ナショナリズム内の保守勢力として再定義したWendlandの議論などに影響を与えたと思われる。第二点は、「ルソフィル」は「老年ルテニア人」からの枝分かれであって変身ではなく、「ルソフィル」登場後も第一次世界大戦期まで「老年ルテニア人」は存在しつづけたという説。これについては批判的応答が多い感覚があるが(Himkaがそうだった気がする)、もう一度註などで触れている諸論文を整理しなくてはいけない。