2014/11/17

2014/11/17


・読んだもの

Kappeler, Andreas. Die Kosaken : Geschichte und Legenden. München, 2013

ドイツ語通読三冊目。僕のなかで未だ断片的だったコサックのイメージにようやく大まかな輪郭ができた。少なくとも、混乱を生む原因となっていたドニエプル・コサックとドン・コサックは今後しっかり読み分けられるだろう。

S.33 フメリニツキーは対ポーランド戦争を組織する際、意識的に「カトリック対正教徒」という構図を利用した(ブレスト合同でユニエイトが生れ、正教徒がカトリックに取り込まれることが危惧されていた時期だった)。そのため、フメリニツキーの蜂起はヨーロッパの宗派化の枠組みにおける宗教戦争としても理解し得る。

S.52 非コサック農民らからの反発も多く地方反乱の域を出なかったドン・コサックの蜂起に対し、ドニエプルの蜂起はなぜ下層の人びとも巻き込んだ全ウクライナ的反乱となったのか。第一に、中央専制国家ロシアの方が、緩やかな貴族共和国のポーランド・リトアニアより手ごわかった。第二に、ドニエプル・コサックの方がはるかに数が多かった。そして根本的に重要だったのは、ドニエプル・コサックがウクライナ貴族の一部や正教と同盟していたことである。とりわけ、カトリック・ポーランドに対するウクライナ人民の宗教同盟は彼らの成果の決定的な要素だった。ドン・コサックの蜂起にも確かにムスリムや旧儀式派が参加していたが、大多数は敵と同じロシア正教徒だった。

S.74 十月革命後、クバンでの人民共和国について。クバン・コサックにはウクライナ入植民が多く、ウクライナ人民共和国やヘトマン国家との合同を模索していた(このあたりは長尾久が書いていた気がするのでもう一度読む必要あり)。


19世紀に皇帝と祖国の忠実な守り手(ボリシェヴィキ曰く"Schergen"、「国家権力の手先」)となったコサックがロシア革命とその後の内戦、そして第二次世界大戦で果たした役割に関してはより深める必要あり。あと、ウクライナ・ナショナリズムとコサック神話の結合は緊密すぎるので分かりやすいが、ロシア・ナショナリズムにおけるドン・コサックの居場所についてはいまいちはっきりしてしない。コサックこそが「ロシア性」なのか、ロシアの多元性を代表する一要素なのか。

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