2014/11/27
2014/11/27
・歴代在ウクライナ大使
今日ウクライナ語版Wikipediaを物色していたらНадзвичайні і Повноважні Посли країн Європи в Україніという項目が面白かったので少し書いておくことに。直訳すると「ヨーロッパ諸国の在ウクライナ臨時大使及び全権大使」ということになるが、二つの形容詞をこう愚直に訳していいのか分からない。検索してみるとНадзвичайні і Повноважні Послиひとまとまりの用法が結構見つかるので、これで一般的には大使を指すのかもしれない。
この項目の著者はウクライナ人民共和国及びヘトマン国家と現在のウクライナの連続性を推す立場にあるようで、ドイツのウクライナ占領政策ではお馴染みのMummやオーストリア=ハンガリーのJohann Forgáchに加え、法的あるいは事実上ウクライナを承認していたブルガリア、フィンランドなどの国々の使節、さらにはただ交渉のための使節を送っていただけの英国やフランスの外交官の名も挙げられている。フランスのJean Pélissierや英国のJohn Picton Baggeなどはそれぞれフランス語版、英語版Wikipediaに記事がなく本国では取るに足らない人物のようだが、ウクライナ語版にはしっかり個別の項目がある。この時代にウクライナが主権国家として国際社会デビューを果していたことを示したいのだろうか。
そして酷いと思ったのはドイツの初代大使として扱われているAdalbert von Magdeburgという人物。彼は10世紀の初代マグデブルク大司教であり、どうやら若いころキエフ・ルーシの大公妃オリガから神聖ローマ帝国のオットー1世が要請を受け、キリスト教布教のための使者として派遣されたらしい。こんなの年代記の世界で、おそらくルーシの年代記と西側の記録で齟齬もあるだろうに、「ウクライナ史」では彼のキエフでの布教活動はウクライナ世界が西欧と結びついていた証として記憶されているのだろうか(そもそも、「ドイツ」の初代大使と言うことは「ドイツ」の連続性においても大いに問題・・・)。
まあWikipediaに突っ込みをいれること自体が馬鹿らしいのだが、こうして書いてまとめると少なくともその間は頭が働くから良い。
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