2015/01/20

2015/1/20


・第一次世界大戦前のウクライナ

今読んでいるKappeler, Andreas. Kleine Geschichte der Ukraine. München, 2014の第九章が大戦前のウクライナの社会史、文化史的側面を扱っているのだが、知らない人物が多く出てきたので調べることにした。なお、著者のKappelerは本書の中で「ウクライナ」という語を今日のウクライナ主権国家の領域として用いることを冒頭で表明している。一度断っておけばウクライナ・ナショナルヒストリーに傾いた歴史観の持ち主だと見なされるのを恐れ細かい用語法に気をとられるようなことはなくなるだろうし、何より分かりやすい叙述がなされているので、読者としてありがたい。

Dmytro Bahalii (1857-1932)
ロシア帝国、ハルキウ大学の歴史家。スロボダ・ウクライナの公的領域にも積極的に参与し、1914-17年にはハルキフ市委員会を率いた。1918年、ウクライナ科学アカデミーの創立メンバー。専門はスロボダ・ウクライナ、左岸ウクライナ、南ウクライナの歴史である。革命後もソ連にとどまって研究を続け、ハルキフで死去した。

Alexander Afanassjewitsch Potebnja (1835-1891)
ロシア帝国、ハルキウ大学の哲学者、言語学者。代表作は『思考と言語』(1862)。また、ホメロスのオデュッセイアをウクライナ語に翻訳した。サンクトペテルブルク科学アカデミーのメンバー。

Mikhail Ivanovich Tugan-Baranovsky (1865-1919)
ハルキウ生まれの経済学者。ペテルブルク大学で教えるほか、ピョートル・ストルーヴェの自由解放同盟に参加、ポルタヴァのゼムストヴォでも活動していた。1917年にウクライナ・ラーダ総書記局のメンバーとなるも、第三次ウニヴェルサルに反対して辞任。

Maksim Kovalevsky (1851-1916)
ロシア社会学の祖。ハルキウ大学で学び、やがて世界的な社会学者となった。一次革命後ロシアに帰国し、ドゥーマにも選出された。戦時中には来たる講和交渉への参加が見込まれていたが、1916年に死去した。

Stepan Smal-Stockyj (1859-1938)
ブコヴィナ、チェルノニウツィの言語学者。政治にも参加し、オーストリア議会議員でもあった。1918年にプラハへ去り、西ウクライナ人民共和国の公使となった。1921年よりプラハのウクライナ自由大学で言語学と文学を教えた。

Marko Vovchok (1833-1907)
ウクライナの女性作家。タラス・シェフチェンコやパンテレイモン・クリシらと交流があり、夫もキリル=メトディオス団の一員である。ウクライナのフォークロア文化の興隆に大きく寄与した。

Panas Myrny (1849-1920)
ポルタヴァ生まれのウクライナ語作家。社会心理学的な手法で、農奴解放後のウクライナ農村の変化を描いた『破滅した力』(1880)が代表作である。

Olha Kobylianska (1863-1942)
ブコヴィナ生まれのウクライナ語女性作家。1891年からチェルニウツィで執筆し、1896年にウクライナ文学初のフェミニスト小説を著した。同じく女性であるレーシャ・ウクラインカと一時恋愛関係にあった。一次大戦後ルーマニア領となったチェルニウツィで死去。


疲れたので今日はここまで。Wikipediaで日本語記事が出ているものもあり、まだまだ弱い分野だと痛感する。

0 件のコメント:

コメントを投稿