2015/05/06

ドイツの町と紋章18 ヴィースバーデン


ヴィースバーデンはヘッセン州の州都で、ヨーロッパで最も古い温泉保養地の一つに数えられる。州は異なるが、マインツとはライン川を挟んで隣接している。
ここも駅を起点に中心部を歩きまわった。保養地でありつつもかなりの大都市で、近代的な建物が並ぶ新市街と市庁舎の周囲の旧市街どちらも立派。もちろん、クーアハウスやカイザー・フリードリヒ浴場(ローマ式の混浴浴場)などからは現在も保養地として栄えていることが窺えた。

紋章は以下の通り。

Wappen der Stadt Wiesbaden

この紋章は16世紀の印章を起源としており、青い背景にアヤメを図式化した絵柄が三つ描かれている。この意匠は紋章学でフルール・ド・リスと呼ばれ、元来フランスに起源を持ち、中世のヨーロッパで好んで用いられた。現在の紋章は1906年に制定されたものである。

写真は市庁舎。中央上部に掲げられているのは古い紋章だろうか。


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2015/05/04

ドイツの町と紋章17 マインツ


マインツはラインラント=プファルツ州の州都で、神聖ローマ帝国時代は選帝侯のうち第一位を占めるマインツ司教座がおかれていた。
ライン川日帰り旅行で最初に寄ったのがマインツ。一時間半ほどひたすら歩きまわっただけだが、印象に残っているのは中心部でやっていたお祭りで、そこでは様々な国籍の人が自国の特産品や名物を売っていた。今思えば、立派な大聖堂になぜ入らなかったのかが疑問・・・。

紋章は以下の通り。

Wappen der kreisfreien Stadt Mainz

「マインツの車輪」と呼ばれる模様が特徴であり、まず1300年の印章に車輪が現れたとされている。それ以来この模様はマインツ大司教によって用いられ、数や向きなどが変化しつつ現在まで紋章に残っている。20世紀に入っても細部の変更はなされており、この紋章は2008年に改められた。下左図が1915年から1992年まで、下右図が1992年から2008年までの紋章で、1992年に簡略化がなされたことがわかる。

 

写真はマインツ大聖堂。これは分かりやすいロマネスク様式。
そして一番右の旗にマインツの車輪が描かれている。


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2015/05/03

ドイツの町と紋章16 ヴェッセリンク


ヴェッセリンクはケルンの南に接する都市で、僕が住んでいたローデンキルヒェン区からU6で15分ほどの距離。
近いから行っただけで何もなかったが、ライン川に面したエリアは散歩やスポーツをする人々で賑わっていた。化学工業の分野で世界的に重要な都市らしい。

紋章は以下の通り。

Wappen der Stadt Wesseling

左の盾にはお馴染みのベルギッシュ・ライオンだが、よく見ると青い王冠と青い爪は省かれている。右の部分は生命の樹を象徴するユリの木を二羽の鳥が守る様子が描かれており、このデザインはヴェッセリンク特有というわけではなく、中世のキリスト教世界で好まれていたようだ。この紋章の起源は古く14世紀の印章が元であるが、現在の形になったのは1937年のことである。

写真は市役所前の広場。左下に紋章が重ねられた市旗が認められる。


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2015/05/02

ドイツの町と紋章15 ブレーメン


ブレーメンはヴェーザー川沿いの港町で、「自由ハンザ都市ブレーメン」州の州都である。この奇妙な名称の州はブレーメンと60km離れたブレーマーハーフェンの二都市のみで構成されている。
都市の規模と比べると僅かな時間しかとれなかったが、世界遺産の市庁舎とローレンツ像に加えベットヒャー通りやシュノーアなどの個性的な地区も一応散策できた。シュノーア地区では日曜日にもかかわらず観光客向けなのか結構店が開いていて、マグカップや置物を購入した。

紋章は以下の通り。右は大紋章である。

Wappen der Stadt Bremen Großes Wappen

特徴的な形状の鍵は「ブレーメン鍵」を呼ばれるもので、大聖堂の守護聖人である聖使徒ペトロに由来する。鍵は1366年にブレーメン市の印章に登場し、それ以来上部の王冠とともに何度も形状を変えてきた。現在の紋章は1891年の紋章令で定められた。
ブレーメンでは、城門が描かれたハンブルクの紋章と結びつけて、「ハンブルクは世界への門であるが、その門の鍵はブレーメンが持っている」と言われている。

写真は音楽隊。そう都合よく紋章を撮ってはいなかった・・・。


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ドイツの町と紋章14 リューベック


リューベックはハンブルクの北東65kmに位置する大都市。中世にハンザ同盟の盟主として栄え、現在もなお市の正式名称は「ハンザ都市リューベック」である。神聖ローマ帝国では自由都市の地位を享受したが、現在も州と同等の扱いを受けるハンブルクやブレーメンとは異なり、19世紀にシュレスヴィヒ=ホルシュタイン州に編入された。
リューベックは日帰りで旧市街を観光した。市のシンボルであるホルシュテン門の内部は歴史博物館になっており、ハンザ同盟のイメージを掴むのにかなり役立った。中心部の市庁舎やマリエン教会の他に、ウィリー・ブラント・ハウスが興味深かった。隣には先日死去したギュンター・グラスの記念館もあったが、そちらは有料だったので入らなかった。リューベックだけでなくドイツを代表する土産の一つであるNiedereggerのマジパンでも知られ、店舗では大量の日本人ツアー客がマジパンを漁っていた。

紋章は以下の通り。

Wappen der Stadt Lübeck

帝国自由都市の紋章にハンザ同盟の赤白の紋章を組み合わせたもので、1450年から用いられている州で最も古い紋章である。細部の変更は度々なされており、1784年から1997年までの間は以下の紋章が用いられていた。



写真は何かよくわからないがホルシュテン門内部の天井にぶら下がっていたもので、明らかに市の紋章に由来する形状である。


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2015/04/30

ドイツの町と紋章13 ハンブルク


ハンブルクはエルベ川沿いのドイツ第二の都市で、中世にハンザ都市として栄えて以来、ヨーロッパを代表する港町である。意外と内陸に立地しているが、川幅が広いため海港にしか見えない。日本と比べるとやはり内陸国的な印象が強いドイツであるが、ハンブルクはその中で異質であり、陽と陰を併せ持った港町特有の魅力的な雰囲気を湛えている。
ハンブルクでは一泊したので主要な見所はだいたい回った。倉庫街、朝の魚市場、歓楽街レーパーバーンなどはドイツ国内各所を訪問した今なお新鮮であるが、一方港町出身の人間として親近感も抱かせる。市庁舎も立派で、偶然一般開放日にあたっていて内部を見学できた。中心街の間を縫って運河が走っているのも優雅で良い。地元民が集うおしゃれエリアのようなものもいくつかあるんだと思う。

紋章は以下の通り。右は大紋章である。

Landeswappen der Freien und Hansestadt Hamburg Großes Staatswappen

紋章のデザインは、12世紀あるいは13世紀の市の印章に由来する。中央の塔は司教の所在を示しており、すなわち19世紀に取り壊されたマリエン大聖堂を描いたものである。周囲の城の形状は幾度か変化しており、門が開いたデザインが用いられている時期もあった。1835年以来現在の紋章が使われている。大紋章のデザインは16世紀に遡り、ライオン、兜、兜飾りが盾を支えている。

以上の紋章は市が公に用いるものだが、ハンブルクへの愛着を示したいという一般市民の要望により、紋章をやや簡略化した「自由使用紋章」も定められた。

Frei verwendbares Wappenzeichen

写真は、市庁舎内部の内壁あるいは扉のデザイン。当時はもちろんこんな記事を書くつもりもなかったのだが、よく撮ってたな・・・。
この市庁舎は1886-97年に建てられたもので、それゆえ紋章は既に現在と同じデザインである。


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ドイツの町と紋章12 ボン


ボンはケルンの南に位置する大都市で、人口は31万人。1949年から90年まで西ドイツの首都であり、現在も首都機能の一部を残している。ローマ時代に建てられたドイツで最も古い都市の一つであり、1597年から1794年まではケルン選帝侯領の首都であった。
ボンにはオイスキルヒェン、ケーニヒスヴィンターと同じ日曜日に訪問し、当然ここが主要目的地だった。市街地の少し南にHaus der Geschichte(歴史の家)という国営の歴史博物館があり、そこで見知ったドイツ人によるドイツ史の基本的な語りの構造は、のちに様々な博物館を見学する上での基礎として役立った。中心部も散策したが、ボンほどの大都市でも日曜日は閑散としていることがわかった。

紋章は以下の通り。

Wappen der Stadt Bonn

上部にはケルン選帝侯領の黒十字が、下部にはこちらを向いた金色のライオンが描かれている。ライオンの由来は雄豚を襲うライオンの石像であり、その起源は中世まで遡る。現在は石像の頭部が失われており、紋章に描かれている表情は推測によるものだという。石像は中世から選帝侯領時代の終わりまで中央広場にあり、現在は市立博物館で保存されている。

現在の紋章は1971年に新たに制定されたもので、その前の200年間は以下の紋章が用いられていた。



そして、写真の旧市庁舎の装飾には旧紋章が使われている。


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