2014/08/10

2014/8/9


・ホスト氏とのドライブ

この部屋に入居してからちょうど一週間となる今日、夕方にホスト氏の車で二時間ほどケルン市内を案内してもらった。ホスト氏とは昨日を除いて毎晩一時間ほどドイツ語で会話の練習をしており、既にある程度は慣れた仲である。

車に乗るとまず「お前は歴史をやってるんだったよな?コンラート・アデナウアーは知ってるか?」と聞かれ、「第二次世界大戦後のドイツ首相だ」と答えると「そうだ、だが彼は戦間期の約10年間はケルン市長であり、その役職で大きな功績を成した」という風に彼の講義は始まった。彼がケルン市長だったことは僕も知っていたが、彼の事績の詳細、例えばフランスとの戦争のために築かれた要塞や砲台を撤去し、木を植えてケルンを緑の多い町にしたとかを実際に見て回るとその規模の大きさが分かる。町の中心部は中世以来の旧市街で緑は少ないが、その中心部を緑のベルトが囲っている。途中一度車を降りて、土曜の散歩を楽しむ人々の群れに加わった。

次に向かったのはケルン大学近くにある日本文化センターと、その隣の東アジア芸術博物館。残念ながらセンターの方には8月は休刊の旨ドイツ語と日本語で張り紙がしてあった。東アジア芸術博物はショップと展示の前半部を軽く覗いただけで、「後はお前一人でもう一度来ればいい」と言われてしまった。まあ確かにこんな施設の存在を知れただけで収穫だったのかもしれない。

最後にライン対岸のドイツ(Deutz)地区に渡りそこでケルシュを飲む予定だったのだが工事中やら何やらで渋滞に巻き込まれ、ホスト氏には門限があったらしく「すまん、もう帰る」とのことでUターン。帰りついたのは出発からちょうど二時間が経った頃だった。

他にも、ナポレオン時代の20年間ケルンはフランスに併合されていたので、ケルン方言には今でもフランス語由来の単語が残っているとか、ケルンの人口の10パーセントを学生が占めているとか、ホスト氏は月に二回フィットネスクラブに通っているとか、様々な情報を仕入れることができた。

来週もどうやら近場の見どころに連れてってくれるようだ。その頃にはさらにホスト氏のいなし方にも慣れているだろうし、楽しみである。


出納

ケルシュとチョリソー、コーヒーとサンドイッチ、パン、スーパー
17.39

2014/08/08

2014/8/8


・レヴァークーゼン
Leverkusen ist eine kreisfreie Stadt im südlichen Nordrhein-Westfalen. Die Stadt gehört zum Regierungsbezirk Köln und liegt geographisch im Bergischen Land und somit im Rheinland. In Leverkusen mündet die Wupper in den Rhein.
レヴァークーゼンはノルドライン・ヴェストファーレン州南部の郡独立市である。その都市はケルン行政管区に属し、地理的にはベルギッシェス・ラント及びラインラントに位置する。レヴァークーゼンでヴッパー河がライン河に注いでいる。
日本語記事があるのにドイツ語のウィキペディアを訳すのもあまり意味があるとは言えないがそれはまあ良いとして、トロイスドロフを訪問した日の午前中、僕はこのレヴァークーゼンにいたのでそのときのことを紹介する。
人口は159926人。ケルンあるいはドゥッセルドルフのベッドタウンとしての役割が強いと思われる。

ケルン中央駅からSバーンで15分でレヴァークーゼンに到着。
レヴァークーゼン駅
ショッピングストリート
駅前からはショッピングストリートが伸びる。ケルンで既に見たチェーン店が主で、特別面白味はない。唯一目立つのがどんと構えたバイヤー・レヴァークーゼンのショップだが、わざわざ入る気も起きず。
レヴァークーゼンの誇り
歩行者天国となっているこの通りをずっと歩けばレヴァークーゼンの中心部はほぼ終わりとなるようで、静かな住宅街が現れる。
終点
下調べの段階で人口16万人と知りもう少し活気のある街を想像していたのだが、ただののどかなベッドタウンであり土産などもなく、30分ほどでケルンへと引きかえした。おそらく最も人口の多い州であるここノルドライン・ヴェストファーレンには、レヴァークーゼンと同様人口の割に個性、あるいは「中心性」の欠けた町がたくさんあるのだろう。


出納

コーヒー、カフェ

2.99

2014/8/7


・ランパード、シティに移籍

家にネット環境がない僕にもランパードが春までシティでプレイするという話は伝わってきており、今日は家に早く帰りついて久々に時間があるのでそれについてのドイツ語記事を翻訳する。


ペジェグリーニがランパードの移籍を公式に伝える。

フランク・ランパードのマンチェスター・シティへの驚くべき移籍は公式に完了した。「シチズン」の監督、マヌエル・ペジェグリーニはランパードの移籍を土曜、公式に伝えた。その36歳は昨シーズンの終わり、チェルシーFCでの13年間ののちに、彼の満了した契約をそれ以上延長せず、MLSの新たなクラブであるニューヨーク・シティFCへと移籍した。

昨週にようやくランパードはいずれMLSのクラブとなるニューヨーク・シティFCとの二年契約にサインした。しかし、アメリカのシーズンは来たる新年になってから始まる。そこで、それまでランパードは自らのフィジカルを好調に保たねばならない。

最初、メルボルン・シティFCとのレンタル取引が計画されていた。しかしランパードはほとんどオーストラリア・フットボールでプレイする気が起きなかった。なぜなら、彼にとってダウン・アンダーのリーグの水準は十分でないと思われたからだ。

とにかく、彼はニューヨークのスポーツディレクター、Claudio Reyna及び監督のJason Kreisとの会談を求めた。結果として、ランパードはオーストラリアではなく、マンチェスター・シティへとレンタルで移籍することとなる。

アメリカ興行にあったイングランドのチャンピオンと、そのイングランド代表106キャップの選手は6か月後の2015年1月半ばまでローン契約をしたようだ。イングランドのメディアによれば、全ての関係者が移籍について合意しており、用意された契約への署名を待つのみとなっている。「来週の水曜日には、彼は我々のトレーニングに参加しているだろう」とマン・シティの監督、マヌエル・ペジェグリーニは漏らした。彼はランパードによって彼の陣営にさらなるオプションを得たことを喜んでいる。「チャンピオンズ・リーグだけで、我々はやり遂げねばならない多くの試合を抱えることになるだろう。だから、彼はチームにとって非常に重要だ。」

フランク・ランパードは2001年にウエストハム・ユナイテッドからチェルシーFCへと移籍した。スタンフォード・ブリッで彼はすぐにファンのアイドルとなり、多くの成功を祝った。三度彼はブルーズでイングランド・チャンピオンとなり(2005、2006、2010)、四度FAカップを勝ち取り(2007、2009、2010、2012)、2012年には遂にチャンピオンズリーグで優勝した。

彼のかつての同僚たちとの再会は、早くも9月半ば、プレミアリーグの5日目のマッチデイとなるだろう。そのときチェルシーはマンチェスターでプレイする。二戦目が2015年1月31日にスタンフォード・ブリッジで行われるときには、ローン契約は既に満了している。

マンチェスター・シティはScheich Mansourの「シティ・フットボール・グループ」に所有されている。ニューヨークシティFCとメルボルンFCの他に、その持株会社は日本のトップクラブ、横浜Fマリノスにも株を保有している。


出納

カプチーノ、コーヒー、オイロショップ(=1ユーロショップ)、スーパー
10.66

2014/08/07

2014/8/6


・授業時間

学校のことは話のネタが尽きないように徐々に紹介していくつもりであり、今日は授業時間について。
授業は朝8:45に始まり、時間割では10:15-10:35に休憩が入り、さらに12:05-12:15に休憩が入り、13:00に終わるという三コマ構成になっている。最後の一コマだけがやけに短い。もちろんチャイムなどは鳴らないが、それでも休憩時間はだいたい守られているし、特に20分、10分という休憩の長さに関してはかなり正確である。
メキシコ人が3人いる僕のクラスでは、教師が「じゃあ10分の休憩ね。メキシコの10分じゃなくて、ドイツの10分ですからね」とか言っていた。こういう風に所与のステレオタイプを援用することで多国籍から成るグループをより円滑に機能させるという手法には、慣れてしまうと中毒性があるのだろう。皮肉なことに、かく言う僕も今のところ日本人のステレオタイプ通りの振舞いをしているに違いない。


出納

コーヒー、ドライヤー、パン
20.56

ドライヤーを除いた出費は3.57

2014/08/06

2014/8/5


・ネット事情

語学学校での二日が過ぎ、そこの生徒用のWifiが遅くて使い物にならないことがはっきりした。前述したように住居にネットが通じていない僕はさすがにこれでは不便だと言うことで、先人の知恵に頼ってなんらかの手段を打つことを計画している。現時点ではwifiルーターの値段やiPhoneのSIMロック解除のリスクなどを斟酌すると、通信会社O2が出しているSurf-Stickというものを用いるのが最適という考えに落ち着いた。調べれば便利な日本語の記事が出てくるので詳しくは書かないが、専用USBスティックにSIMを挿入してPCで通信が可能というものらしい。それではiPhoneでの通信はできないことになるが、iPhoneでやるような調べものは町中のWifiを拾うだけでなんとかなりそうだと思う(幸い、今も毎日通っているケルン大聖堂周辺ではケルン市のWifiが飛んでいる)。

マクドナルドも一日二時間でデヴァイスは一台限定、最寄駅前のベイカリーカフェKampsは登録が必要なうえ19時には閉店と、数少ないWifiを備えた店舗であっても使い勝手の良くないことが多い。寮の部屋にネットが通じることが確言されているという一点のみで、既にミュンヘン行きが楽しみだったりする。

出納
Bahncard50、スーパー、パン、コーヒー、パン、コインランドリー
144.46

Bahncardのせいで大変なことになっているが、今日はよくやった。

2014/08/04

2014/8/4


・語学学校初日

今日から二か月間の語学学校の課程がスタートした。初日ということで授業はなく運営陣と教師からのプレゼンテーションや学生証の発行、連れ立っての学生定期券の購入など、手続き的なものに終始。色々と覚悟していたので全ては想定内に進み、これでようやく勉強する環境が整ったという安堵の思いが強い。初対面の人間と満面の笑みで堅い握手を交わし、すぐに朗らかな調子で会話に入る他の生徒たちの様子をドラマの一場面みたいに典型的だなとか思いながら眺めていると、ばねの外れた社交性を具えた彼らでも最後の一人になるまで僕を放っておくというのは一応は話しかけるべき人とそうでない人を識別することはできるんだと分かって興味深かった。

さて、語学学校の多国籍性については今日の時点でも垣間見えたが(意外なことに日本人は見かけなかった)、夜に送られてきたメールに明日以降の授業で僕が所属することになるクラスの名簿が添付されており、そこに国籍も併記されていたのでまとめておく。

メキシコ3
アメリカ3
中国1、台湾1
キルギス1、ウクライナ1、ウズベキスタン1
アルバニア1
日本1


出納

パン、Uバーン、水、パン、定期券、スーパー(洗剤、油、ハム、キュウリ、バター、牛乳など)
83.9
やっと自炊できる・・・

2014/08/03

2014/8/3


・入居

語学学校のスタートを明日に控え、今日ついにホテルから二か月間の住処へと移った。

当初は寮が語学学校に併設されているものだと思っていたが、どうやらそんな設備はないらしく個々の生徒がホストファミリーあるいは私営の学生用宿舎のようなところに割り振られるシステムだと分かった。そして僕のもとに二週間ほど前、「あなたのホストはこの人です」と氏名、電話番号、住所が送られ、「連絡をとって3日に出迎えてもらいなさい」と指示された。
メールアドレスが書かれていないので入国してすぐサムスンの通話とSMS専用のHandyを19ユーロ、congstarとかいう通信会社のSIMカードを10ユーロで購入、その夜のうちにcongstarのホームページ経由で開通させ、翌日電話し最寄駅まで迎えに来てもらう約束を無事取り付けた。
そして今日、最寄駅に到着するとホスト氏に再度電話して数分後に合流。一緒に家まで向かった。メールの内容からして最悪ホストファミリー的な形態をも覚悟していたのだが、どうやらホスト氏は自分の住んでいるアパートをもう一部屋借り、そこを語学学校の生徒に貸し出しているようで、僕の住む部屋は家主の住居とは完全に独立していた。中に入るとキッチン、冷蔵庫、風呂、テレビ、掃除機などほぼ完璧な設備が目に入ってくる。しかし問題だったのがネット。ホスト氏に早速この部屋にネットはあるかと尋ねてみたのだが、「ない、何か調べたければ語学学校でやれ」との回答。学校はここから電車で30分はかかる距離であり、家の近辺で調べものができる環境をなるたけ早く見つけ出す、あるいは作り出さねばならない。ということで、この記事は公開のあてのないまま記述している。

その後、再びホスト氏が迎えに来て町周辺の案内。そして車でともにケルン中心部へ向かい、語学学校の場所と大聖堂についてのうんちくを紹介され、最後にBrauhausでケルシュをおごってもらった。僕のドイツ語の訓練のため、今後も毎晩30分くらい時間をとってくれるらしい。
二か月間で印象も変わるであろうホスト氏本人について現時点で詳らかに語ることは避けるが、とりあえず背中に"Supreme Vibes"と書かれたTシャツを着て、フランス語を解し、ごついタバコを何本も続けて吸う白髪の老人であったことだけ記しておく。


出納
証明写真、市税(ホテルでとられた)、昼食、Uバーン、夕食
29.8