2015/05/31

ドイツの町と紋章34 ホルツキルヒェン


ホルツキルヒェンはバイエルン州ミースバッハ郡のマルクト。S3の終着駅がある。
この頃は終着駅には何かしらあると思い一応訪問していたが、期待外れだからいい加減やめようと思ったのがこの町かもしれない。

紋章は以下の通り。

Wappen des Marktes Holzkirchen

木(Holz)と教会(Kirche)が描かれており、町の名称(Holzkirchen)にかけた図柄となっている。近代までホルツキルヒェンの紋章及び印章は定まっておらず、尖塔や玉ねぎ屋根の塔を持った教会が描かれているものや、木の数が二本のものも存在していた。1929年、最も古い印章に倣う形で現在の紋章が制定された。


ファサードの凝った建物はいくつかあったが・・・。


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2015/05/28

ドイツの町と紋章33 トゥッツィング


トゥッツィングはシュタルンベルク湖西岸の都市で、人口は1万人弱。S6の終着駅がある。
アンデクスからバスで訪れ、湖畔を少し歩いてミュンヘンに戻った。

紋章は以下の通り。

Wappen der Gemeinde Tutzing

上部の魚は町が湖に面し、かつて漁業で栄えていたことを示している。三つの星が入った青い帯は、1480年にトゥッツィングの所有者となったミュンヘンの貴族、Dichtl家のシンボルである。Dichtl家はこの土地に来てすぐに"Dichtl von Tutzing"姓を自称し、特権を得て1662までこの地を統治した。この紋章は1937年に制定された。


湖は天気次第。


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2015/05/27

ドイツの町と紋章32 アンデクス


アンデクスはバイエルン州シュタルンベルク郡の町で、人口は約3500人。中世には修道院を中心に繁栄し、18世紀に壮麗なロココ様式に改築されたアンデクス教会は町の観光名所となっている。
ヘルシングから森を抜けて修道院教会まで歩いた。教会以外何もないが、ここの修道院のビールは有名で、ビアガーデンは行列ができるほど混んでいた。瓶ならミュンヘンのスーパーでも買える。

紋章は以下の通り。

Wappen der Gemeinde Andechs

ヴィッテルスバッハ家の青白を背景とし、上部にはハンノキの枝が、下部には口を大きく広げて叫ぶライオンが描かれている。ハンノキ(Erle)は、かつての町の名称であるErlingにかけたもので、ライオンは1248年に絶えたアンデクス伯爵家に由来する。そもそもこの地域の地名はErlingであり、ヴィッテルスバッハ家の統治下にはいって以後、アンデクスは修道院と修道院が建つ「聖なる山」の名としてのみ残っていた。しかし世俗化ののちも地域の中心としての修道院の重要性は減じることなく、1956年には自治体名がErling-Andechsとなり、初めて地名にアンデクスが現れた。そして1970年代の自治体改編ののち、町はAndechs(アンデクス)と改名された。


こんなところを歩いた。


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2015/05/24

ドイツの町と紋章31 ヘルシング・アム・アマーゼー


ヘルシングはアマーゼー湖畔の都市で、ミュンヘンS8の終着駅がある。
暖かい時期に行ったおかげで湖畔のレストランや散歩道はかなりにぎわっていた。いくつかの散策コースの起点にもなっており、僕もここから隣町のアンデクスまで5kmくらい歩いた。

紋章は以下の通り。

Wappen der Gemeinde Herrsching am Ammersee

Wikipediaに解説がなかったが、バイエルン州のホームページにしっかりとした記事があった。
カモメと波は当然アマーゼー湖を表している。下部はバイエルンの紋章であり、1248年より市はバイエルン公ヴィッテルスバッハ家の統治下に入った。現在の紋章は1954年に制定された。


天気も良かった。


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ドイツの町と紋章30 アルトーミュンスター


アルトーミュンスターはミュンヘンS2の終点駅があるマルクトである。マルクトとは自治体の単位の一つであり、現在のドイツではバイエルン州のみに存続している。
ここにはダッハウ収容所のあと、Sバーンが工事中だったのでわざわざ代替バスで訪れた。オーバーバイエルンの単調な田舎風景を見たのはこのバスが最初だったかもしれない。

紋章は以下の通り。

Wappen des Marktes Altomünster

紋章には町の由来となった聖アルトー、そして聖アルトー教会(Muenster)が描かれている。ミュンスターとはラテン語Monasteriumに由来する単語で、主に南ドイツで教会の呼称として用いられた。現在の教会は18世紀にロココ様式で新築されたものだが、当初は紋章に描かれているような姿だったのだろう(あるいは、教会一般を図式化した絵柄なのかもしれない)。下部には各地の紋章でお馴染みのアヤメが加えられている。


市役所。後ろに見えるのが聖アルトー教会の塔。


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2015/05/22

ドイツの町と紋章29 ダッハウ


ダッハウはミュンヘン北西に位置する都市で、定期券圏内ではフライジンクに次いで大きい町。それでも人口は45000人。
ダッハウには強制収容所跡とヴィッテルスバッハ家の宮殿があり、僕はそのどちらも訪れた。どうしても前者のイメージが強いが、旧市街は十分独立した観光資源となっていた。

紋章は以下の通り。

Wappen der Stadt Dachau

紋章の三つの絵柄はどれもバイエルンの統治者とのダッハウの深い結びつきを示している。まず、上部の拍車は14世紀にダッハウ宮殿の管理人であったHans von Marschalckの紋章に由来するとされている。左のライオンは12世紀に絶えたダッハウ伯爵家のシンボルであり、蛇は14世紀末にバイエルン公に嫁いできたElisabettaの出身であるミラノのヴィスコンティ家の紋章獣である。蛇がダッハウの紋章に描かれているのは、Elisabettaが婚約の際の贈り物としてダッハウ市をバイエルン公から受け取ったことによる。


クリスマスマーケットにも行った。


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2015/05/21

ドイツの町と紋章28 エヒング


エヒングもオーバーシュライスハイムと同じミュンヘンの北のS1沿線の都市で、人口はこちらが2000人ほど多い。
ここは観光にきたわけではなく、最寄りのIKEAがあったので引越直後に来ただけ。写真は一枚も撮っていないし中心部に寄ってもいないが、50ユーロくらい金を落としたので訪問数にいれていいだろう。

紋章は以下の通り。

Wappen der Gemeinde Eching

上部には「フライジンクの黒ん坊」、下部にはハイデ(荒野)に咲く花の間に聖アンデレ十字が描かれている(スコットランド国旗のセント・アンドリューの十字と同じ)。「フライジンクの黒ん坊」はエヒングが属していたフライジンク司教領のシンボルであり、聖アンデレ十字は教区教会の聖アンドレアス教会を、花は市内の自然保護地区「ガルヒング・ハイデ」を表している。この紋章は1967年より用いられている。

ドイツの町と紋章27 オーバーシュライスハイム


オーバーシュライスハイムはミュンヘン郊外の都市で、人口約1万人。LMUの定期券圏内であり、以後この規模の知名度の低い町に好奇心と意地で訪問しまくることとなる。
市内にはバイエルンの王家であるヴィッテルスバッハ家が夏の離宮としていたオーバーシュライスハイム宮殿があり、そこの広い庭園を一通り歩いて回った。

紋章は以下の通り。

Wappen der Gemeinde Oberschleißheim

上部には宮殿にある三つの建物のうち二つを建設したマクシミリアン2世エマヌエル選帝侯(1662-1726)のモノグラムが、下部にはバイエルンの青白の菱形模様が描かれている。この紋章は市に在住していた紋章学者、Otto Huppの案で1925年に制定された。

とても広いが、誰もいない。


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2015/05/19

ドイツの町と紋章26 アウグスブルク


アウグスブルクはミュンヘン、ニュルンベルクに次ぐバイエルン第三の都市。ローマ時代に建設されて以降、フッガー家の繁栄やアウグスブルクの和議などで常に歴史に名を残し、現在に至っている。
ミュンヘンに家がないときオクトーバーフェストを避けてここに泊まったのだが、ミュンヘンから軽く足を延ばすには若干遠いので今思えばあのとき行っておいてよかった。夜は意外と閑散としていたが。

紋章は以下の通り。

Wappen der Stadt Augsburg

中央に描かれているのはツィルベルヌスという松かさ、すなわち広義の松ぼっくりを図式化したものであり、1467年の印章に初めて登場した。これはこの地域のローマ軍の軍旗に由来するもので、現在でもアウグスブルクのシンボルとして紋章以外でも広く用いられている。現在の紋章は1985年に簡略化されたもので、以前は鉢のような部分がコリント式の柱頭となっており、さらにそこには人間の顔が描かれていた(顔の起源は定かではない)。以下が1811年から1985年までの紋章である。



市役所なのにドイツの紋章しかない・・・。


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2015/05/18

ドイツの町と紋章25 メンヒェングラードバッハ


メンヒェングラードバッハはノルドライン=ヴェストファーレン州西部の大都市。1975年に合併で誕生した経緯から、二つの中央駅(Hauptbahnhof)を有するドイツで唯一の都市となっている。ブンデスリーガの古豪ボルシア・メンヒェングラードバッハの本拠地としても知られる。
ノイスの後に訪れたが、ここも人口の割にパッとしないNRW特有の都市。大通りのカフェでくつろいですぐケルンに引き返した。

紋章は以下の通り。

Wappen der Stadt Mönchengladbach

現在の紋章は合併前の諸都市の伝統を重んじた図柄であり、合併後の1977年に制定された。上部の白い鋸歯状の帯は旧Wickrath市を治めていたQuadt家、左部の大修道院長杖は合併前のメンヒェングラードバッハ市にあったベネディクト会、右部の黒十字は旧Rheydt市を治めていたBylandt家を、それぞれ表している。
合併前の旧紋章(下図)は聖人、ルカニアのヴィトゥスとユーリヒ公のライオンが描かれたもので、現在の紋章との連続性はない。中央の青い帯は小川を意味するGladbachのbachにかけたもので、星は聖ヴィトゥスもその一人に数えられる14の救難聖人を示している。




駅は味があってよかったな。


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2015/05/17

ドイツの町と紋章24 ノイス


ノイスはライン川左岸、ドゥッセルドルフの向かいに位置する都市。人口は15万人超で、郡と同等の地位を持つ郡独立市に属さない市としてはドイツで最大らしい。歴史は古く、ローマ時代のノヴァエシウムという植民市がその起源である。
ケルンを去る前に近場の町ということで訪れ、メインストリートと教会を軽く観光した。とりわけ目を引くものはないが、住みやすそうな印象だった。

紋章は以下の通り。右は大紋章。

Wappen der Stadt Neuss 

右部分の白十字の起源は12世紀の印章であり、十字軍を表しているとされる。1217年の最古の紋章はこの十字模様であった。15世紀に市が皇帝から特権を授かると、帝国自由都市でなかったにもかかわらず双頭の鷲が紋章となり、さらに王冠をかぶせることが許された(これは当時、ノイスとアムステルダムのみだった)。16世紀に古い十字の紋章と新しい双頭の鷲の紋章が一体とされ、それが現在まで用いられ続けている。
大紋章のライオンが登場したのは1638年である。


写真は市庁舎。よく見ると紋章が認識できる。


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2015/05/13

ドイツの町と紋章23 マンハイム


マンハイムはハイデルベルクから電車で15分ほどの距離にある大都市。ドイツでは珍しい格子状の計画都市で、特に見どころはないが高等教育や博物館が充実した文化都市である。
ハイデルベルクの帰りに寄り、町のシンボルであるユーゲントシュティールの給水塔のみ見物した。格子状の道はどこへ行くにも回り道している感じがする。

紋章は以下の通り。

Wappen der Stadt Mannheim

右に描かれたのはハイデルベルクと同じくプファルツ選帝侯のライオンで、左図はヴォルフスアンゲル、「狼を捕える罠」と呼ばれる二重鉤である。ヴォルフスアンゲルはドイツの紋章にしばしば登場し、ゲルマン的な起源ゆえナチの軍団のシンボルとしても用いられていた。両意匠は18世紀の印章に現れ、1896年に現在の紋章が制定された。

給水塔とは思えない。


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ドイツの町と紋章22 ハイデルベルク


ハイデルベルクはかつてプファルツ選帝侯の宮廷がおかれた古都である。ネッカー川のほとりの美しい旧市街に加え、ドイツ最古の大学をも擁している。
ミュンヘンで学籍登録した帰りに一泊したが、今思い出すと何と言うか観光地としての総合力が高かった。城や哲学者の道もよかったが、記憶に残っているのは大学の学生牢と早朝に見た虹。

紋章は以下の通り。

Wappen der Stadt Heidelberg

このライオンはハイデルベルクに首都がおかれていたプファルツ選帝侯領の紋章獣である。下部の三つ山図形(Dreiberg)は都市名(Heidelberg)を示唆するものだとされている。現在の紋章の図柄は1898年に採用されたが、1969年に様式化がなされており、それ以前は以下の紋章が用いられていた。



虹はまだ町に誰もいなくて独占できたのがよかった。


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2015/05/09

ドイツの町と紋章21 ザンクト・ゴアルスハウゼン


ザンクト・ゴアルスハウゼンはライン川沿いの小さな町。人口は1000人強しかないが、ライン川観光の名所であるローレライとネコ城を擁している。
僕はリューデスハイムからここまで観光船に乗り、電車でケルンに戻った。「世界三大がっかり」の一つに数えられるローレライだが、船内放送が盛り上げてくれたおかげでまあまあの迫力に見えた。ちなみに船内放送はドイツ語、英語、日本語で、その日も結構な量の日本人ツアー客が乗船していた。

紋章は以下の通り。

Wappen der Stadt Sankt Goarshausen

上部のライオンはベルギッシュ・ライオンと酷似しているが、これは当地をかつて支配していたカッツェンエルボーゲン伯の紋章である。三つのフルール・ド・リスが描かれた下部はヴィースバーデンの紋章を想起させるが、むしろ対岸のザンクト・ゴアールの斜め格子との関連が指摘されている。今後の訪問予定もないのでザンクト・ゴアールの紋章もここで紹介しておく。

Wappen der Stadt Sankt Goar

写真はローレライ。

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2015/05/08

ドイツの町と紋章20 リューデスハイム・アム・ライン


リューデスハイムもライン沿いの町。小さな町だがライン峡谷観光の主要都市で、ワイン酒場や土産屋では日本語もしばしば見られる。
日曜日に訪れたが石畳の小路はどこもかなりの人出で、おそらく平日よりにぎわっており観光地だなあと思った。ワイン畑の上をリフトでのぼり、森の中を少し歩いてアスマンスハウゼンという市内の別の地区に再びリフトで下った。最初のリフトはライン川を臨みながら涼しい風にあたれてとても気持ち良かった。

紋章は以下の通り。

Wappen der Stadt Rüdesheim am Rhein

ブリュール以来の変わり種。
騎乗しているのはトゥールのマルティヌスという聖人で、彼はマインツ大司教時代に列聖された。立っている巡礼者は聖ヤコブであり、シンボルである杖とホタテガイとともに描かれている。リューデスハイムの紋章は幾度も変化しながら現在にいたっており、類似の絵柄は17世紀から19世紀の印章に現れているが、19世紀の紋章では一時的にホタテガイのみが描かれていた。

最近またうまく紋章を撮れている。市庁舎。


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ドイツの町と紋章19 エルトヴィレ・アム・ライン


エルトヴィレ・アム・ラインはライン川沿いの小都市で、「ワインとシャンパンとバラの町」を称している。
ライン川沿いの町はとても一日で回り切れる量ではないので適当に選んだのだが、中世からの城、木組みの家、石畳の道など雰囲気がありよかった。ライン河畔のバラの花壇の前にはワインの屋台とテラス席があり、次の電車まで時間があったので一杯飲んだ。

紋章は以下の通り。

Wappen der Stadt Eltville am Rhein

初めてWikipediaに説明がなく、他サイトを参照した。
絵柄は分かりやすく、左がマインツの車輪、右が聖使徒ペトロの鍵である。マインツ大司教領の一部であったことから16世紀ごろの印章にマインツの車輪が現れ、のちにペトロの鍵が加えられた。

標識に紋章を発見。


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2015/05/06

ドイツの町と紋章18 ヴィースバーデン


ヴィースバーデンはヘッセン州の州都で、ヨーロッパで最も古い温泉保養地の一つに数えられる。州は異なるが、マインツとはライン川を挟んで隣接している。
ここも駅を起点に中心部を歩きまわった。保養地でありつつもかなりの大都市で、近代的な建物が並ぶ新市街と市庁舎の周囲の旧市街どちらも立派。もちろん、クーアハウスやカイザー・フリードリヒ浴場(ローマ式の混浴浴場)などからは現在も保養地として栄えていることが窺えた。

紋章は以下の通り。

Wappen der Stadt Wiesbaden

この紋章は16世紀の印章を起源としており、青い背景にアヤメを図式化した絵柄が三つ描かれている。この意匠は紋章学でフルール・ド・リスと呼ばれ、元来フランスに起源を持ち、中世のヨーロッパで好んで用いられた。現在の紋章は1906年に制定されたものである。

写真は市庁舎。中央上部に掲げられているのは古い紋章だろうか。


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2015/05/04

ドイツの町と紋章17 マインツ


マインツはラインラント=プファルツ州の州都で、神聖ローマ帝国時代は選帝侯のうち第一位を占めるマインツ司教座がおかれていた。
ライン川日帰り旅行で最初に寄ったのがマインツ。一時間半ほどひたすら歩きまわっただけだが、印象に残っているのは中心部でやっていたお祭りで、そこでは様々な国籍の人が自国の特産品や名物を売っていた。今思えば、立派な大聖堂になぜ入らなかったのかが疑問・・・。

紋章は以下の通り。

Wappen der kreisfreien Stadt Mainz

「マインツの車輪」と呼ばれる模様が特徴であり、まず1300年の印章に車輪が現れたとされている。それ以来この模様はマインツ大司教によって用いられ、数や向きなどが変化しつつ現在まで紋章に残っている。20世紀に入っても細部の変更はなされており、この紋章は2008年に改められた。下左図が1915年から1992年まで、下右図が1992年から2008年までの紋章で、1992年に簡略化がなされたことがわかる。

 

写真はマインツ大聖堂。これは分かりやすいロマネスク様式。
そして一番右の旗にマインツの車輪が描かれている。


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2015/05/03

ドイツの町と紋章16 ヴェッセリンク


ヴェッセリンクはケルンの南に接する都市で、僕が住んでいたローデンキルヒェン区からU6で15分ほどの距離。
近いから行っただけで何もなかったが、ライン川に面したエリアは散歩やスポーツをする人々で賑わっていた。化学工業の分野で世界的に重要な都市らしい。

紋章は以下の通り。

Wappen der Stadt Wesseling

左の盾にはお馴染みのベルギッシュ・ライオンだが、よく見ると青い王冠と青い爪は省かれている。右の部分は生命の樹を象徴するユリの木を二羽の鳥が守る様子が描かれており、このデザインはヴェッセリンク特有というわけではなく、中世のキリスト教世界で好まれていたようだ。この紋章の起源は古く14世紀の印章が元であるが、現在の形になったのは1937年のことである。

写真は市役所前の広場。左下に紋章が重ねられた市旗が認められる。


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2015/05/02

ドイツの町と紋章15 ブレーメン


ブレーメンはヴェーザー川沿いの港町で、「自由ハンザ都市ブレーメン」州の州都である。この奇妙な名称の州はブレーメンと60km離れたブレーマーハーフェンの二都市のみで構成されている。
都市の規模と比べると僅かな時間しかとれなかったが、世界遺産の市庁舎とローレンツ像に加えベットヒャー通りやシュノーアなどの個性的な地区も一応散策できた。シュノーア地区では日曜日にもかかわらず観光客向けなのか結構店が開いていて、マグカップや置物を購入した。

紋章は以下の通り。右は大紋章である。

Wappen der Stadt Bremen Großes Wappen

特徴的な形状の鍵は「ブレーメン鍵」を呼ばれるもので、大聖堂の守護聖人である聖使徒ペトロに由来する。鍵は1366年にブレーメン市の印章に登場し、それ以来上部の王冠とともに何度も形状を変えてきた。現在の紋章は1891年の紋章令で定められた。
ブレーメンでは、城門が描かれたハンブルクの紋章と結びつけて、「ハンブルクは世界への門であるが、その門の鍵はブレーメンが持っている」と言われている。

写真は音楽隊。そう都合よく紋章を撮ってはいなかった・・・。


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ドイツの町と紋章14 リューベック


リューベックはハンブルクの北東65kmに位置する大都市。中世にハンザ同盟の盟主として栄え、現在もなお市の正式名称は「ハンザ都市リューベック」である。神聖ローマ帝国では自由都市の地位を享受したが、現在も州と同等の扱いを受けるハンブルクやブレーメンとは異なり、19世紀にシュレスヴィヒ=ホルシュタイン州に編入された。
リューベックは日帰りで旧市街を観光した。市のシンボルであるホルシュテン門の内部は歴史博物館になっており、ハンザ同盟のイメージを掴むのにかなり役立った。中心部の市庁舎やマリエン教会の他に、ウィリー・ブラント・ハウスが興味深かった。隣には先日死去したギュンター・グラスの記念館もあったが、そちらは有料だったので入らなかった。リューベックだけでなくドイツを代表する土産の一つであるNiedereggerのマジパンでも知られ、店舗では大量の日本人ツアー客がマジパンを漁っていた。

紋章は以下の通り。

Wappen der Stadt Lübeck

帝国自由都市の紋章にハンザ同盟の赤白の紋章を組み合わせたもので、1450年から用いられている州で最も古い紋章である。細部の変更は度々なされており、1784年から1997年までの間は以下の紋章が用いられていた。



写真は何かよくわからないがホルシュテン門内部の天井にぶら下がっていたもので、明らかに市の紋章に由来する形状である。


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