2014/08/31

2014/8/31


・一ヶ月

今日でケルンに到着してからちょうど一ヶ月が経った。正直言って、かなり早い。

まず大きいのは語学学校のプログラムが既に半分終ってしまったという事実である。この一ヶ月で会話力はさすがに向上したが、一方で文語で用いられる抽象名詞や婉曲な表現などをほとんど忘失し、また授業で最も必要とされるであろう聴き取り能力にも変化は感じられない。幸い今月は夏休み気分で色々やっていたわけで、来月勉強時間を作る隙間は大いにある。また、教科書に付属していたCDにも手を付けていないし、見る癖がついていないため部屋のテレビが完全に置物と化しているのも勿体ない。そしてこのまま読解力の低下を放置するわけにもいかないので、毎日何かしら読むようにしなければならない(下手したらゼミがあった日本での学期中より読んでいる量は少ない)。

外国での一人暮らしという意味では、まあ想像以上でも以下でもないという感じか。スーパーの品揃えと価格や食費の節約方法、確実にWifiが拾えるチェーン店、近郊路線運賃の仕組み、リサイクル制度、携帯電話事情、などなど適応期間に学んでいく事項を「本番」であるミュンヘン入りを前に会得できたのは良かった。
ただ、出納を計算した結果1086.56ユーロという結果が出て、これはさすがに反省する必要があるだろう。寮費と学費は抜きでこの額だから、純粋に生活費として15万円を費やしたことになる。旅行とか定期代とかあるけれど、使った分の金は消えているのだから、来月はやや節約志向。

節約と言ったそばからであるが、来月はドイツ西部の見どころを今のうち回っておくつもりである。今のところ、ドイツの自治体はケルン、レヴァークーゼン、トロイスドルフ、ドゥーレン、アーヘン、ブリュール、ドゥッセルドルフ、ヴッパータール、ゾーリンゲン、オイスキルヒェン、ボン、ケーニヒスヴィンターで12か所に訪れているようだ。100個行けるだろうか(また変な目標が出来てしまった・・・)。

2014/08/30

2014/8/30


・サッカー観戦

今日はプレミアリーグ第3節、エヴァートン対チェルシーを旧市街のアイリッシュパブで観戦した。導入以後も劣悪な我が家のネット環境のせいで二試合は観戦叶わず、好カードだしということで観に行くことにした。

日本でもパブなんて全くと言っていいほど縁がないのだが、都合よく観光客気分を発揮し気軽に入店、礼儀としてギネスビールを頼みキックオフを待つ。18:30という時間であったため普通に飲みに来ている客が多く、スクリーンの前での立ち見観戦となった。
試合は3分でチェルシーが2点を奪うまさかの展開だったが、後半以降は互いに点を取り合い終わってみれば6-3のバカ試合となった。ハーフタイムが明けた頃には観戦客だけが残っている状態で、席に着き快適に見ることができた。
ギネスもケルシュもやや高めであり、また実況の音声が小さくほとんど映像を追うだけなのが難。大量得点の勝利ということでフットボール欲も満たされ、まあもうケルンではパブは行かないかな。

2014/08/29

2014/8/29


・髪を切る

しばらくブログ更新が滞っていたが、日本からの友人が昨日まで滞在していたので仕方ない。

今日は日本にいる間からの懸案であった散髪を敢行した。ドゥッセルドルフで日本人に切ってもらうという案もあったのだが、火曜にドゥッセルドルフに行ってそれをしなかった時点でその案は捨てており、ケルンでどこを選ぶかが問題だった。
いよいよ髪を切ることを決めていた今日も店は未定のままで、繁華街Rudolfplatzや大学街をぶらぶらしつつも足が伸びず、結局地元Rodenkirchenで目をつけていた店に落ち着いた。なぜこんなに美容室選びにうだうだ言うかといえば、ドイツの美容室の日本人による評判が途方もなく悪いからであり、さらにドイツに来て町でドイツ人の髪型を見るにつけゲッツェやロイスの髪型がまったくノーマルなものだと知り若干の恐怖を抱いていたのである。

店に入ると少し待たされ、やがて30代程度の女性に席に案内された。客層は地元の年配の人中心という感じだが、割とにぎわっている店であり特別珍しくないのか東洋人の来訪にも変な目はされなかった。
いくつか単語を調べておいたので注文は苦労せず。まず髪を洗ってもらい、散髪に入る。最初は日本の美容室と特に異なるようには思わなかったが、おそらく髪を梳く段階に入ってから作業が非常に雑になった。そして驚くほどの短時間で終わりの合図。ドライヤーはしてもらえるが洗髪は最初の一度のみで、切り落とした髪をあらかた風で飛ばすとそれで終了である。噂通り雑ではあったが、16ユーロと安く担当してくれた女性も親切で、「髪をすく」「前髪を流す」「段差をつけない」などの日本での常識が一応通じたのには安心した。
今は日本で切った時と変わるようには見えないが、問題は伸びてきて雑な作業のボロが出てくるのか否かである。ということで、評価は保留。


出納
別個に毎日記録しているので月末まで放置

2014/08/25

2014/8/25


・マーストリヒト、リエージュ

週末に旅したケルン、アムステルダム、ブリュッセルを頂点とする三角形は、その前の週末でのアーヘン、マーストリヒト、リエージュの三角形を数倍に拡大したものであるとも言える。国もその順序もまったく同じである。そんなことはどうでもいいが、とりあえずその週末の記録をつけておく。

マーストリヒト中央駅から旧市街までは歩ける距離。蚤の市は活気があるが、落ち着いた街並みという印象。
蚤の市
マース川を渡ったところが旧市街で、車は入れないため土曜日のショッピングを楽しむ市民と観光客とでにぎわっている。ショウウィンドウなどを見るとドイツよりなんだかセンスがあるような気がするが、旧市街としては何の変哲もない旧市街である。マーケットプレイスの建物とテラス席とか、幾度みたことか。
一つ行けてよかったのは「世界一美しい本屋」だというセレクシーズ・聖ドミニカ教会店。何かで見たことがあったが、マーストリヒトだということは記憶していなかったので嬉しい驚き。
http://www.theguardian.com/books/2008/jan/11/bestukbookshops とか参照
「世界一美しい本屋」
さすがに写真撮影は許可されている。ここの本屋のグッズとか作ればいいのに、それは売っていなかった。
旧市街を一通り歩いてワッフルとフライドポテトを食せばマーストリヒトには満足、調べておいたリエージュ行の列車に乗り込んだ。

リエージュの長距離鉄道駅は中心部から離れたところにあり、中国の高速鉄道専用駅を髣髴とさせる気持ち悪いフォルムである。
リエージュ・ギユマン駅
駅前は閑散としており、バス停に載っている地図で自分の位置を確認。とりあえずセンター方面に行くバスに乗り込み、皆が降りた停留所で自分も降りた。
マーストリヒトが足で歩きとおせる小さな町だったのに比べ、リエージュは大きい町で活気もある。少し雑然としたところもあって、中世そのままみたいなマーストリヒトよりこちらの方が好み。
リエージュ中心部
何も調べてきておらず、Ausflugのプログラムにも組み込まれていないここリエージュについては事前情報が一切なく、ただただ歩く。旧市役所か議事堂か劇場かよくわからない立派な建物が幾度か現れる。大聖堂もある。ここリエージュにもマース川は流れている。
途中でギユマン駅に向かうバスを見つけて乗り込み、駅でサンドイッチを買い、夕焼けのなか普通列車でアーヘンへと戻った。


出納
22-24 旅行 234.27
25 パンとコーヒー、カフェ 3.84

2014/08/21

2014/8/21


・旅行

明日から旅行に行くので、三日間は更新しない。旅行については帰ってきてから書くことにする。

旅行の記録については先週分も溜まっているが、なかなか書けない原因は最近どこのカフェにいっても画像のアップロードが異様に遅く途中で嫌になることである(家では節約のためデータのアップロードはしないことにしている)。今は中央駅のスターバックスにいるが、ここも駄目である。
なおドイツに来てスタバは初めてだが、Wifiの時間制限はないし、コーヒーも2ユーロ以下なので悪くはない。


出納
ポテト、パンとコーヒー、コーヒー、スタバ
8.38

2014/8/20


・第一次世界大戦100周年

今年は第一次世界大戦開戦から100周年にあたる年である。ヨーロッパ内の列強どうしが四年に及ぶ総力戦を演じた衝撃は空前のものであり、ロシア革命への連続性も鑑みれば、第二次世界大戦より時代の転換点としての意義は大きいといわれる。
ちょうどその時代を専門にしようとしている僕は、『八月の砲声』が響いた時期にちょうど「本場」に行くということで色々と楽しみにしていた。しかし書店や博物館で特集が組まれているのは見かけるものの、いちいち重大事件100周年ごとに町が式典を開いてるなんてことは(少なくともここケルンでは)ない。
せっかくドイツにいるのだから100年前を追体験しようということで、とりあえずケルンにいる9月までのぶんだけでも年表をまとめておくことにした(どうせだしドイツ語で)。

28.6 Attentat von Sarajevo

23.7 Österreich-ungarisches Ultimatum an Serbien
28.7 Kriegserklärung Österreich-Ungarns an Serbien
30.7 russische Generalmobilmachung

1.8 Kriegserklärung Deutschlands an Russland
3.8 Kriegserklärung Deutschlands an Frankreich
4.8 Kriegserklärung Großbritanniens an Deutschland nach Ablauf des Ultimatums
     Deutscher Angriff auf Lüttich
6.8 Kriegserklärung Österreich-Ungarns an Russland
22.8 Einmarsch russischer Truppen in Galizien
23.8 Kriegserklärung Japans an das Deutsche Reich
26-30.8 Schlacht bei Tannenberg
31.8 Die russische Hauptstadt Sankt Petersburg wird auf Anordnung des Zaren in Petrograd umbenannt

6-12.9 Schlacht an der Marne
12-20.9 Schlacht an der Aisne
24.9-22.3.15 Die Belagerung von Przemyśl


とりあえずタンネンベルク100周年を逃してないことがわかってよかった。


出納
カフェ、パンとコーヒー、パン、文具、寝間着
17.23

2014/08/19

2014/8/19


・天気

こちらに来て数日は暑い日が続き、短パンを持ってきた方が良かったかとさえ思っていたが、授業が始まってからは一転して秋のような天気で今では長袖のシャツでも寒いくらいである。しかも、きっと地形の問題か何かで昼間は青空でも必ず夕方か夜になると雨が降り、そのあとは滅法冷える。

しばらくは天気予報など見ずに過ごしてきたのだが、家にネットが来たついでに見てみると、最高気温は20度前後、最低気温は10度を切っている日もある。22時頃まで明るいこちらの夏だが日の出は遅く、授業のある日の朝はコーヒーを淹れながら凍えそうになるのも頷ける。
まあ暑いよりましには決まっているのだが、服などの装備が8月のこの寒さを想定していなかったため、いささか困惑している。ミュンヘンでするつもりだった買い物を近々ケルンでしておかないと風邪を引く。


出納

パンとコーヒー、パンとコーヒー、電車
77.57

2014/08/18

2014/8/18


・擬声語

今日単語の問題集をといていたら、「話す」「言う」ことにかかわる動詞について問われ皆目分からなかったのだが、辞書を引くとすべて擬声を語源としたものだと分かった。造語力の高いドイツ語はその分派生語も多く、コツをつかむと単語の意味を類推しやすい言語なのだが、擬声語となるとそうはいかない。
意味と単語を線でつなぐ問題の答えをとりあえず和訳しておく。

stammeln 不安、あるいは興奮しているため、非常に不明瞭に話す
flüstern 非常に静かに話す
tuscheln 秘密に、ささやいて会話する
jammern 何かに不満であることを表す
nuscheln 話すとき口をほとんど動かさないので、不明瞭に話す
seufzen 苦悩あるいは安堵を、吐息の音で表現する
einsagen あることを知らない人に、言うべきことをこっそり伝える
ächzen 痛みあるいは緊張でうめく
raunen 多くの人々が同時に小声で話す

今まで辞書で引いたこともない単語ばかりだが、覚えて損はないのだろう。


出納
パンとコーヒー、パンとコーヒー、M、スーパー
12.87

2014/8/17


・アーヘン
Aachen, eigentlich Bad Aachen, ist eine kreisfreie Stadt und Kurstadt im nordrhein-westfälischen Regierungsbezirk Köln, Mitglied des Landschaftsverbandes Rheinland und gehört nach dem Aachen-Gesetz mit Wirkung vom 21. Oktober 2009 als kreisfreie Stadt zur Städteregion Aachen. 1890 überschritt Aachen erstmals die Einwohnerzahl von 100.000 und ist seitdem die westlichste deutsche Großstadt. Die Stadt ist bekannt für ihre bis in die Jungsteinzeit zurückreichende Geschichte und ihr damit verbundenes kulturelles, archäologisches und architektonisches Erbe.
アーヘン、実はバッド・アーヘン、はノルトライン・ヴェストファーレン州ケルン行政管区の郡独立市、そして保養都市である。ラインラント地域連合の構成員であり、アーヘン法の2009年10月21日の施行に伴い、郡独立市としてアーヘン諸都市圏に所属している。1890年にアーヘンは初めて人口10万人を超え、それいらいドイツ最西の大都市である。その都市は新石器時代までさかのぼる歴史と、それと結びついた文化的、考古学的、建築的遺産で知られている。
アーヘンはケルンから西に電車で1時間の位置にある都市で、人口24万人。カール大帝がここを気に入り、都と定めた地だとして知られている(実際にはカール大帝は広大な帝国を旅して一生を過ごしたが、アーヘン的には、大帝はここを「定まった居住地」にしたということらしい。アーヘンはその頃カロリング帝国の首都、すなわちヨーロッパの首都だったと声高に過去を称えるが、移動宮廷が主流だった中世の国家に「首都」という概念を適用すること自体が実はふさわしくない)。

僕は8月10日日曜日にアーヘンを訪れた。アーヘン中央駅から旧市街までは歩ける距離であり、見どころはすべて旧市街にまとまっている。
ケルンと同様アーヘンもまた有名な大聖堂を持っており、ゴシック様式とロマネスク様式が混在した独特な美を備えている(ゴシックの権化であるケルン大聖堂より美しいというのが一般的な評価らしい)。そして今年2014年はカール大帝が死んでちょうど1200年ということで、カール大帝を特集した展示が三ヵ所で開かれていた。僕は旧市役所で開かれていた一つを訪ねたのみだが、アーヘンが様々な文脈を駆使してカール大帝をとっかかりにヨーロッパ全体を取り込もうとしている様が興味深かった。
また、アーヘンはそもそもは保養地として知られ、カール大帝も温泉で長旅の疲れを休める地としてアーヘンを気に入ったと言われている。今でもその鉱泉は残っており、そこには過去の偉大な訪問者の名が彫られた石板がある。それによれば、ピョートル大帝もここを訪れた。

アーヘンの名物はアーヘナー・プリンテンという菓子であるが、試食してみるとあまりに甘く買う気にはならなかった。ただ、プリンテンの有名店であるNobisはパン屋も営業しており昼食はそこでとった。
小さな町であり午後には時間が余り、技術系の単科大学のあるエリアをぶらぶら歩いた。日曜ではあったがそのあたりの飲食店は軒並み営業しており、様々な人種の学生たちで活気づいていた。

こんな無味乾燥な記述で写真もなしというのはどうかと思うが、今これを書いているカフェのネット環境により、写真のアップロードに厖大な時間がかかりそうなのでとりあえずこれですます。
あと、まったくログを書いていないとこんなにも書くことが思い浮かばないのだなとちょっと悲しくなったので、今からでも昨日のマーストリヒト、リエージュへの旅について軽く認めるべきだろう。


出納
0!

2014/08/16

2014/8/16


・Euregioticket

今日は語学学校の主催するAusflugがあり、20ユーロでマーストリヒトに出かけられるということだったのでそれに参加した。学校は月曜から金曜の午後毎日と、たまに土曜にスポーツやら博物館見学やらさまざまな親睦イベントを主催しているのだが、まあ当然僕が参加するのは今回が初めてである。

気になっていたのが20ユーロという安さであるが、朝集合場所に辿りつきしおりを渡されてその仕組みが分かった。まずケルンからアーヘンまではノルドライン=ヴェストファーレン州内の鉄道が週末乗り放題になるチケット(5人で42ユーロ)を用い、アーヘンからマーストリヒトへはEuregioと呼ばれる地域の鉄道が乗り放題になるチケット(2人で18ユーロ)を用いることで計17ないし18ユーロでケルンとマーストリヒトを往復できるのである。このAusflugには80人超が参加しており、大人数であることを活かしたプランである(ドイツでは5人で42ユーロだからといって1人で8ユーロちょいで乗り放題券が買えるわけではない。1人分は割高に設定されていて、一方1人同行者を増やすごとに足される金額は数ユーロのみ、すなわち上限の5人で旅行すれば最も割安に済ませられるという方式である)。

そして気になったのがEuregioが乗り放題になるその名もEuregioticketである。アーヘンでそれを買う際にたまたまパンフレットを見つけたのでそれも手に取ると、チケットが有効なのはドイツ、オランダ、ベルギーの三国が国境を接する地域であり、アーヘンとマーストリヒト、さらにベルギーのリエージュも含まれている。それを知った時点で僕は今日のリエージュ行きをも決意し、2人縛りではマーストリヒトで再集合が必要となるので18ユーロのチケットを一人で使うことにした(このチケットはそもそもの上限人数が2人なので、1人で使うと倍かかる)。周りにいたクラスメイトたちは親切に「お前パートナーいないのか、それじゃあ高いだろ」とか心配してくれたが、「いや問題ない。俺は9ユーロで自由を買ったんだ」とか言っていた。

実際マーストリヒトは数時間あれば徒歩で歩き通せるような小さい町であり、カフェや居酒屋での歓談を楽しむ気がなければ十分もう一都市訪問する余裕があったので、計画は正しかったと思う。せっかくの乗り放題チケットであり、アーヘン→マーストリヒト→リエージュ→アーヘンと無駄なく三角形の鉄路を利用したのにも満足である。

日曜のアーヘンのこともまとめないまま1週間が経ってしまったが、このAusflugについてもいずれ書かねばならない。

出納
電車、ワッフル、ポテト、水、コーヒー、土産、コーヒー、サンドイッチ、ビール、コーヒー
43.77

2014/08/15

2014/8/15


・ドイツ語

今日で語学学校の二週目が終わった。一度もドイツ語について書いていなかった気がするが、月曜から金曜まで毎日4時間強の授業と毎回の宿題をこなしているのである。
僕は最初のクラス分けのインタビューでロクに話せず低めのレベルに割り振られてしまい、そこでの二週を経ての感想といえば会話は十分訓練になるが文法は全て既知で説明中は眠いというまあ予想通りの展開である。既知の文法事項であっても咄嗟に口に出すとき正しく用いられるわけではないからこれでよかったという考え方も出来るが、僕に必要なのは日常会話より発表、論文、討論などの場でのドイツ語表現であるのでこのままではミュンヘンに裸で乗り込むようなものだと焦りも感じている(そもそも、僕にとっては今のレベルが扱う家族と友人同士の会話とかのドイツ語は省略やらスラングやらが多用され、上のレベルが扱うニュースや新聞のドイツ語よりよっぽど難しいのだが・・・。)

そしてただ焦りを感じているのもアホらしいので、Neumarktという繁華街に構える大型書店で先日外国人向けの参考書を二冊購入した。一つは単語に特化した練習問題集、もう一つは重要動詞に関して活用や派生語などが書かれたVerbtabellenというもの。いずれも外国人向けではあるものの解説自体がドイツ語で書かれているのでパラパラ読んでいるだけでも単語や重要表現が頭に入ってくる。

語学に専念できるのもあと六週間だが、語学学校初日のインタビューやホスト氏とのローデンキルヒェン駅での邂逅を思い起こせば確実に力は伸びているので、まあ着々やるしかないだろう。


パンとコーヒー、ランドリー
6.34

2014/08/14

2014/8/14


・ネット開通!

今日遂に語学学校で通信用のUSBスティックを受取り、帰宅してすぐに開通させた。どうやら大型スーパーマーケットチェーンのALDIがMEDIONとかいう通信会社の3G回線を借りて提供しているプランのようだ(スーパーが通信事業に手を出すというのもそこまでやるかという感じだが、セブンイレブンがそれを始めてもそんなに驚かないかもしれない)。
軽く調べた感じでは、定額ではあるものの、5GBを超えるとその月いっぱい通信速度が極端に制限されるというありがちな方式のようだ。ということで一応ある程度節約するつもりだが、何よりそのような情報をすぐ調べられるというのが家にネットがあることの恩恵である。


出納
ノートとファイル、コーヒー、スーパー
10.63

2014/08/13

2014/8/13


・ドゥーレン
Düren ist mit etwa 89.000 Einwohnern eine große Mittelstadt am Nordrand der Eifel zwischen Aachen und Köln in Nordrhein-Westfalen. Sie ist Verwaltungssitz des gleichnamigen Kreises und Mitglied der Euregio Maas-Rhein. Die von der Rur durchflossene Stadt nennt sich Das Tor zur Nordeifel. Sie ist geprägt von mehr als 1300 Jahren wechselvoller Geschichte und ihrer modernen Industrie.
ドゥーレンは人口約89000人、アイフェル地方北部、ケルンとアーヘンの間に位置するノルトライン・ヴェストファーレン州の大中都市である。その町は同名の郡の郡庁所在地であり、マース・ライン・ヨーロッパ地方の構成員である。ルール河が貫流するその町は北アイフェルへの門を自称している。その町は、1300年以上の変化に富んだ歴史と近代的産業に特徴づけられている。
ケルンとアーヘンの間にあるということから分かるように、僕は日曜のアーヘン紀行の中途でこの「大中都市」に立ち寄った。ちなみにgroße Mittelstadtの「大中都市」という直訳は「大きな中都市」とすると分かりやすく、ドイツには都市のランクを表すのに「中都市」という公式の区分が存在し、その中都市のなかではドゥーレンは大きな方だというくらいの含意である。

ドゥーレンの玄関口はドゥーレン駅である。
1841年に鉄道が開通したようだ
駅舎
今まで訪れた町より立派な駅舎、町の規模にも期待してしまうが、生憎この日は日曜日でありしかも午前中。ドイツは教会勢力の圧力で日曜はほとんどの店の営業が禁じられており、普通の人は寝ているか教会に行くか観光地へ出かけるかのどれかである。
ドゥーレンの中心部は駅から500mほど離れている。
閑散とした中心部
中心部には広い歩行街があるが人の姿はほとんど見当たらない。ただケルンにあるような大型書店や大型電気店も見かけ、割と周辺地域の中心として機能している大きめの町なのだと分かる。ケルンにもアーヘンにも電車で30分かかるのでこのような自立性を獲得しているのだろう。
唯一人の流れがあったのが教会に向けての道である。
教会
ちょうど10時の鐘を打っているところに行きあい、閑散とした街にひたすら鐘の音だけが響き渡っていた。

30分後にアーヘン方面への次の電車が来るのでそれに合わせて駅に戻る。
ホームには転車台が放置されていた。
転車台
日本ではあまり見ない光景な気がするが(Wikipediaによれば放置状態なのは11駅)、ドイツあるいはヨーロッパでどうなのかは分からない。

ほとんど人が見られなかったドゥーレンであるが、駅にだけは多くの人が集まっていた。要するに日曜日ということで観光都市であるケルンかアーヘンに出かけるところだったのだろう。


出納
カフェ
2

2014/8/12


・DAAD奨学金

そもそも僕が今の語学学校で学ぶことになったのは、DAADという機関(日本語名はドイツ学術交流会だったかな)の語学研修のための奨学金の存在を知り、その提携校に今の学校が含まれていたことが始まりである。選択肢はいくつかあったのだが、結局は授業料が手頃であったことが決め手であり、そのおかげで授業料と寮費は奨学金で全て賄われ、ドイツまでの交通費の一部が援助されるため500ユーロほどの収入となった。

さらに、語学学校に来てから驚いているのが奨学金生へのサポートの充実ぶりである。DAAD奨学金生には特別の説明会が用意されており、そこで住民登録や銀行口座開設という外国人にとっては煩雑で嫌になる手続きを解説、一部代行さえしてくれる。さらにその説明会では、この先所属することになる大学での用事などでやむを得ずケルンを離れ遠方へ赴く場合、その交通費と必要となる場合宿泊費さえ、列車は二等車で宿はホステルなど最低限ではあるものの負担してくれるという。これは9月に一度学籍登録のためミュンヘンに行く必要のある僕にそのまま当てはまる話であり、もう少し日が近づいたころに詳細を尋ねてみようと思う。

小さいところで言えばPDFファイルの入ったUSBを持っていけば無料で印刷してくれるなどの特典もあるのだが、今日知って驚いたのが住居にインターネット回線がない生徒に通信用のUSBスティックを無料で提供しているという話である。これは隣の席の台湾人と話していて知ったのだが、これでケルンに来て一週間の最大の悩みであったネット問題が雲散霧消するかもしれない。実際、授業後即座に担当者の事務所に向かうとそのようなサービスは存在し、色々手続きして明日には受け取れるということだった。


出納

参考書、カフェ、スーパー、コーヒー、水、コーヒー、ポテト

41.47

2014/08/11

2014/8/11


・ローデンキルヒェン
Rodenkirchen ist der 2. von neun Kölner Stadtbezirken.
Der Stadtbezirk wurde am 1. Januar 1975 nach der Eingemeindung der vormals selbstständigen Gemeinde Rodenkirchen und der Stadt Wesseling in die Stadt Köln gegründet. Zusätzlich wurden noch einige bereits 1888 eingemeindete Stadtteile dem Stadtbezirk zugeordnet. Durch eine erfolgreiche Verfassungsklage gegen das Köln-Gesetz wurde der Stadtteil Wesseling am 1. Juni 1976 ausgemeindet und erhielt seine Selbstständigkeit zurück.
ローデンキルヒェンは、ケルンの新たな市区の第二区である。その区は1975年1月1日、かつての自治共同体ローデンキルヒェンとヴェッセリンク市のケルン市への編入ののち、設立された。さらに、1888年に既に編入されていた市の一部もこの区に帰属となった。ケルン市法に対する憲法訴訟の勝利により、ヴェッセリンク部分は1976年6月1日に脱退し、元通りに自治を得た。
ローデンキルヒェンはこのように独立した都市ではなくケルン市の一部分なのだが、他ならぬ今僕が暮らしている町なので紹介する。人口は約10万人で、市の南部を占めている。

ローデンキルヒェンの中心部は路面電車16番線のローデンキルヒェン駅とライン河に挟まれた地帯である。生活に必要な店はあらかた揃っているが、コインランドリーがなく部屋に洗濯機がない僕はいささか不便している。ライン河沿いの道では多くの人がランニングやサイクリングを楽しみ、河を臨むレストランでは地元の人がケルシュを傾け語らいあっている。概して落ち着いた住宅街という印象で、若い人が多いケルン市にしてここは高齢者の姿も目立つ。

ライン川
ライン川を臨むレストラン
水曜日と土曜日には町の中心の広場で市場が開かれる。僕は土曜日に散歩していたら運よくそれに行きあたった。
市場
結構おいしそうに並んでいる
初日にホスト氏が周辺を案内しながら話してくれたところによれば、ローデンキルヒェンもかなり古い町のようで、その歴史は10世紀まで遡る。交通の技術が向上して、ケルン市との時間的距離が縮まるまでは、まったく別の町として発展していたのだろう。
古そうな道
夜には静かで住みやすい町だろうが、路面電車しか通っていないせいで公共交通機関を用いると市の中心へ向かうのに30分ほどかかるのが難といえば難である。そのせいで、らしくないことに毎朝僕は6時台に起床することを強いられている。


出納
カフェ、電車、バーガーキング、コーヒーとクロワッサン
16.54

2014/08/10

2014/8/10


・バーンカード

今日は休日ということでケルンの西、ベルギーとオランダとの国境近くの町アーヘンに来ている。ケルンからアーヘンまでは片道16.8ユーロ。しかし僕は先日バーンカードというものを購入したので、半額の8.4ユーロで来ることができた。

Bahncardは25,50,100の三種類があるが、僕が購入したのは50。これを持っていれば一年間はドイツ鉄道の全ての列車が半額で買えることになる。学生は127ユーロなので、原価254ユーロ分乗ればまあ元が取れることになる。今日のアーヘン日帰り旅行で33.6ユーロだから、一年ドイツにいれば254ユーロなど簡単に越えてしまうだろう。

Bahncardについては日本語のブログでも多く触れられているが、必ず注意として書かれているのが「6週間前までに解約通知をすること」である。確かにドイツ鉄道から先日届いた規約にも、一年毎に自動更新だから解約したいなら有効期間の6週間前までに知らせろと書かれていた。多くの人が届いた瞬間に解約通知をすることを推奨しており、それに倣うのがおそらく安全だろう。

大聖堂のなか


出納
電車、パンとコーヒー、水、土産、カール大帝展、コーヒー
30.89

2014/8/9


・ホスト氏とのドライブ

この部屋に入居してからちょうど一週間となる今日、夕方にホスト氏の車で二時間ほどケルン市内を案内してもらった。ホスト氏とは昨日を除いて毎晩一時間ほどドイツ語で会話の練習をしており、既にある程度は慣れた仲である。

車に乗るとまず「お前は歴史をやってるんだったよな?コンラート・アデナウアーは知ってるか?」と聞かれ、「第二次世界大戦後のドイツ首相だ」と答えると「そうだ、だが彼は戦間期の約10年間はケルン市長であり、その役職で大きな功績を成した」という風に彼の講義は始まった。彼がケルン市長だったことは僕も知っていたが、彼の事績の詳細、例えばフランスとの戦争のために築かれた要塞や砲台を撤去し、木を植えてケルンを緑の多い町にしたとかを実際に見て回るとその規模の大きさが分かる。町の中心部は中世以来の旧市街で緑は少ないが、その中心部を緑のベルトが囲っている。途中一度車を降りて、土曜の散歩を楽しむ人々の群れに加わった。

次に向かったのはケルン大学近くにある日本文化センターと、その隣の東アジア芸術博物館。残念ながらセンターの方には8月は休刊の旨ドイツ語と日本語で張り紙がしてあった。東アジア芸術博物はショップと展示の前半部を軽く覗いただけで、「後はお前一人でもう一度来ればいい」と言われてしまった。まあ確かにこんな施設の存在を知れただけで収穫だったのかもしれない。

最後にライン対岸のドイツ(Deutz)地区に渡りそこでケルシュを飲む予定だったのだが工事中やら何やらで渋滞に巻き込まれ、ホスト氏には門限があったらしく「すまん、もう帰る」とのことでUターン。帰りついたのは出発からちょうど二時間が経った頃だった。

他にも、ナポレオン時代の20年間ケルンはフランスに併合されていたので、ケルン方言には今でもフランス語由来の単語が残っているとか、ケルンの人口の10パーセントを学生が占めているとか、ホスト氏は月に二回フィットネスクラブに通っているとか、様々な情報を仕入れることができた。

来週もどうやら近場の見どころに連れてってくれるようだ。その頃にはさらにホスト氏のいなし方にも慣れているだろうし、楽しみである。


出納

ケルシュとチョリソー、コーヒーとサンドイッチ、パン、スーパー
17.39

2014/08/08

2014/8/8


・レヴァークーゼン
Leverkusen ist eine kreisfreie Stadt im südlichen Nordrhein-Westfalen. Die Stadt gehört zum Regierungsbezirk Köln und liegt geographisch im Bergischen Land und somit im Rheinland. In Leverkusen mündet die Wupper in den Rhein.
レヴァークーゼンはノルドライン・ヴェストファーレン州南部の郡独立市である。その都市はケルン行政管区に属し、地理的にはベルギッシェス・ラント及びラインラントに位置する。レヴァークーゼンでヴッパー河がライン河に注いでいる。
日本語記事があるのにドイツ語のウィキペディアを訳すのもあまり意味があるとは言えないがそれはまあ良いとして、トロイスドロフを訪問した日の午前中、僕はこのレヴァークーゼンにいたのでそのときのことを紹介する。
人口は159926人。ケルンあるいはドゥッセルドルフのベッドタウンとしての役割が強いと思われる。

ケルン中央駅からSバーンで15分でレヴァークーゼンに到着。
レヴァークーゼン駅
ショッピングストリート
駅前からはショッピングストリートが伸びる。ケルンで既に見たチェーン店が主で、特別面白味はない。唯一目立つのがどんと構えたバイヤー・レヴァークーゼンのショップだが、わざわざ入る気も起きず。
レヴァークーゼンの誇り
歩行者天国となっているこの通りをずっと歩けばレヴァークーゼンの中心部はほぼ終わりとなるようで、静かな住宅街が現れる。
終点
下調べの段階で人口16万人と知りもう少し活気のある街を想像していたのだが、ただののどかなベッドタウンであり土産などもなく、30分ほどでケルンへと引きかえした。おそらく最も人口の多い州であるここノルドライン・ヴェストファーレンには、レヴァークーゼンと同様人口の割に個性、あるいは「中心性」の欠けた町がたくさんあるのだろう。


出納

コーヒー、カフェ

2.99

2014/8/7


・ランパード、シティに移籍

家にネット環境がない僕にもランパードが春までシティでプレイするという話は伝わってきており、今日は家に早く帰りついて久々に時間があるのでそれについてのドイツ語記事を翻訳する。


ペジェグリーニがランパードの移籍を公式に伝える。

フランク・ランパードのマンチェスター・シティへの驚くべき移籍は公式に完了した。「シチズン」の監督、マヌエル・ペジェグリーニはランパードの移籍を土曜、公式に伝えた。その36歳は昨シーズンの終わり、チェルシーFCでの13年間ののちに、彼の満了した契約をそれ以上延長せず、MLSの新たなクラブであるニューヨーク・シティFCへと移籍した。

昨週にようやくランパードはいずれMLSのクラブとなるニューヨーク・シティFCとの二年契約にサインした。しかし、アメリカのシーズンは来たる新年になってから始まる。そこで、それまでランパードは自らのフィジカルを好調に保たねばならない。

最初、メルボルン・シティFCとのレンタル取引が計画されていた。しかしランパードはほとんどオーストラリア・フットボールでプレイする気が起きなかった。なぜなら、彼にとってダウン・アンダーのリーグの水準は十分でないと思われたからだ。

とにかく、彼はニューヨークのスポーツディレクター、Claudio Reyna及び監督のJason Kreisとの会談を求めた。結果として、ランパードはオーストラリアではなく、マンチェスター・シティへとレンタルで移籍することとなる。

アメリカ興行にあったイングランドのチャンピオンと、そのイングランド代表106キャップの選手は6か月後の2015年1月半ばまでローン契約をしたようだ。イングランドのメディアによれば、全ての関係者が移籍について合意しており、用意された契約への署名を待つのみとなっている。「来週の水曜日には、彼は我々のトレーニングに参加しているだろう」とマン・シティの監督、マヌエル・ペジェグリーニは漏らした。彼はランパードによって彼の陣営にさらなるオプションを得たことを喜んでいる。「チャンピオンズ・リーグだけで、我々はやり遂げねばならない多くの試合を抱えることになるだろう。だから、彼はチームにとって非常に重要だ。」

フランク・ランパードは2001年にウエストハム・ユナイテッドからチェルシーFCへと移籍した。スタンフォード・ブリッで彼はすぐにファンのアイドルとなり、多くの成功を祝った。三度彼はブルーズでイングランド・チャンピオンとなり(2005、2006、2010)、四度FAカップを勝ち取り(2007、2009、2010、2012)、2012年には遂にチャンピオンズリーグで優勝した。

彼のかつての同僚たちとの再会は、早くも9月半ば、プレミアリーグの5日目のマッチデイとなるだろう。そのときチェルシーはマンチェスターでプレイする。二戦目が2015年1月31日にスタンフォード・ブリッジで行われるときには、ローン契約は既に満了している。

マンチェスター・シティはScheich Mansourの「シティ・フットボール・グループ」に所有されている。ニューヨークシティFCとメルボルンFCの他に、その持株会社は日本のトップクラブ、横浜Fマリノスにも株を保有している。


出納

カプチーノ、コーヒー、オイロショップ(=1ユーロショップ)、スーパー
10.66

2014/08/07

2014/8/6


・授業時間

学校のことは話のネタが尽きないように徐々に紹介していくつもりであり、今日は授業時間について。
授業は朝8:45に始まり、時間割では10:15-10:35に休憩が入り、さらに12:05-12:15に休憩が入り、13:00に終わるという三コマ構成になっている。最後の一コマだけがやけに短い。もちろんチャイムなどは鳴らないが、それでも休憩時間はだいたい守られているし、特に20分、10分という休憩の長さに関してはかなり正確である。
メキシコ人が3人いる僕のクラスでは、教師が「じゃあ10分の休憩ね。メキシコの10分じゃなくて、ドイツの10分ですからね」とか言っていた。こういう風に所与のステレオタイプを援用することで多国籍から成るグループをより円滑に機能させるという手法には、慣れてしまうと中毒性があるのだろう。皮肉なことに、かく言う僕も今のところ日本人のステレオタイプ通りの振舞いをしているに違いない。


出納

コーヒー、ドライヤー、パン
20.56

ドライヤーを除いた出費は3.57

2014/08/06

2014/8/5


・ネット事情

語学学校での二日が過ぎ、そこの生徒用のWifiが遅くて使い物にならないことがはっきりした。前述したように住居にネットが通じていない僕はさすがにこれでは不便だと言うことで、先人の知恵に頼ってなんらかの手段を打つことを計画している。現時点ではwifiルーターの値段やiPhoneのSIMロック解除のリスクなどを斟酌すると、通信会社O2が出しているSurf-Stickというものを用いるのが最適という考えに落ち着いた。調べれば便利な日本語の記事が出てくるので詳しくは書かないが、専用USBスティックにSIMを挿入してPCで通信が可能というものらしい。それではiPhoneでの通信はできないことになるが、iPhoneでやるような調べものは町中のWifiを拾うだけでなんとかなりそうだと思う(幸い、今も毎日通っているケルン大聖堂周辺ではケルン市のWifiが飛んでいる)。

マクドナルドも一日二時間でデヴァイスは一台限定、最寄駅前のベイカリーカフェKampsは登録が必要なうえ19時には閉店と、数少ないWifiを備えた店舗であっても使い勝手の良くないことが多い。寮の部屋にネットが通じることが確言されているという一点のみで、既にミュンヘン行きが楽しみだったりする。

出納
Bahncard50、スーパー、パン、コーヒー、パン、コインランドリー
144.46

Bahncardのせいで大変なことになっているが、今日はよくやった。

2014/08/04

2014/8/4


・語学学校初日

今日から二か月間の語学学校の課程がスタートした。初日ということで授業はなく運営陣と教師からのプレゼンテーションや学生証の発行、連れ立っての学生定期券の購入など、手続き的なものに終始。色々と覚悟していたので全ては想定内に進み、これでようやく勉強する環境が整ったという安堵の思いが強い。初対面の人間と満面の笑みで堅い握手を交わし、すぐに朗らかな調子で会話に入る他の生徒たちの様子をドラマの一場面みたいに典型的だなとか思いながら眺めていると、ばねの外れた社交性を具えた彼らでも最後の一人になるまで僕を放っておくというのは一応は話しかけるべき人とそうでない人を識別することはできるんだと分かって興味深かった。

さて、語学学校の多国籍性については今日の時点でも垣間見えたが(意外なことに日本人は見かけなかった)、夜に送られてきたメールに明日以降の授業で僕が所属することになるクラスの名簿が添付されており、そこに国籍も併記されていたのでまとめておく。

メキシコ3
アメリカ3
中国1、台湾1
キルギス1、ウクライナ1、ウズベキスタン1
アルバニア1
日本1


出納

パン、Uバーン、水、パン、定期券、スーパー(洗剤、油、ハム、キュウリ、バター、牛乳など)
83.9
やっと自炊できる・・・

2014/08/03

2014/8/3


・入居

語学学校のスタートを明日に控え、今日ついにホテルから二か月間の住処へと移った。

当初は寮が語学学校に併設されているものだと思っていたが、どうやらそんな設備はないらしく個々の生徒がホストファミリーあるいは私営の学生用宿舎のようなところに割り振られるシステムだと分かった。そして僕のもとに二週間ほど前、「あなたのホストはこの人です」と氏名、電話番号、住所が送られ、「連絡をとって3日に出迎えてもらいなさい」と指示された。
メールアドレスが書かれていないので入国してすぐサムスンの通話とSMS専用のHandyを19ユーロ、congstarとかいう通信会社のSIMカードを10ユーロで購入、その夜のうちにcongstarのホームページ経由で開通させ、翌日電話し最寄駅まで迎えに来てもらう約束を無事取り付けた。
そして今日、最寄駅に到着するとホスト氏に再度電話して数分後に合流。一緒に家まで向かった。メールの内容からして最悪ホストファミリー的な形態をも覚悟していたのだが、どうやらホスト氏は自分の住んでいるアパートをもう一部屋借り、そこを語学学校の生徒に貸し出しているようで、僕の住む部屋は家主の住居とは完全に独立していた。中に入るとキッチン、冷蔵庫、風呂、テレビ、掃除機などほぼ完璧な設備が目に入ってくる。しかし問題だったのがネット。ホスト氏に早速この部屋にネットはあるかと尋ねてみたのだが、「ない、何か調べたければ語学学校でやれ」との回答。学校はここから電車で30分はかかる距離であり、家の近辺で調べものができる環境をなるたけ早く見つけ出す、あるいは作り出さねばならない。ということで、この記事は公開のあてのないまま記述している。

その後、再びホスト氏が迎えに来て町周辺の案内。そして車でともにケルン中心部へ向かい、語学学校の場所と大聖堂についてのうんちくを紹介され、最後にBrauhausでケルシュをおごってもらった。僕のドイツ語の訓練のため、今後も毎晩30分くらい時間をとってくれるらしい。
二か月間で印象も変わるであろうホスト氏本人について現時点で詳らかに語ることは避けるが、とりあえず背中に"Supreme Vibes"と書かれたTシャツを着て、フランス語を解し、ごついタバコを何本も続けて吸う白髪の老人であったことだけ記しておく。


出納
証明写真、市税(ホテルでとられた)、昼食、Uバーン、夕食
29.8

2014/08/02

2014/8/2


・トロイスドルフ

Troisdorf ist die größte Stadt im Rhein-Sieg-Kreis in Nordrhein-Westfalen und liegt rechtsrheinisch zwischen Köln und Bonn.
(トロイスドルフはNordrhein-Westfalen州、Rhein-Sieg郡の最大都市であり、ライン右岸、ケルンとボンの間に位置している。)

ということで今日はケルン近郊2ゾーン分の一日乗車券を購入、Sバーンを用いてトロイスドルフという町を訪問してきた。レヴァークーゼンにも行ったのだが、 こちらはサッカーチームとバイエル社のおかげでまあまあ知名度もあるだろうし、先にトロイスドルフを紹介する。

何の予備知識もないままケルン中央駅からS13(Sバーン13号線)を終点まで30分弱乗って辿りついたのがトロイスドルフ。人口は72784人とのこと。

静かな駅前
駅前は閑散としていたが、とりあえず教会が見えたので向かう。再洗礼派の教会のようだ。

この距離で満足
あまりに何もないので驚いていたが、人の流れを見つけたのでそこへ向かうとショッピングセンターを中心に商店の集まるエリアが形成されていた。巨大スーパーに家電量販店、ファストファッションはおなじみだが、映画館まであった。非常に穏やかな休日の雰囲気で、荒んだ郊外はここにはない。
ショッピングモールの向かいにこんな優雅なカフェが
巨大スーパーKaufland併設のスタンドがホットドッグを1ユーロで提供していたのでそれを昼食とすることに。ホットドッグを平らげるとまあそれ以上することもないので、早々とトロイスドルフに別れを告げケルンへ戻った。

今回の留学ではこんな風に多くの観光ガイドに載らない街を訪れたいと思っているが、観光ガイドに載らないには載らないなりの理由がある。隠れた魅力を掘り起こすなどは、そこらの留学生にできることではない。記念になる土産物なども皆無であるし、せめてこのブログで紹介することで供養することとする。

ケルンへの帰り道、S13はケルン・ボン空港を通るのだが、空港が好きな僕はせっかくだしと降りてみることにした。標識のアイコンがいちいちかわいかった。




とりあえず、今回のトロイスドルフ訪問で今後のドイツ地方都市探訪の際の一つの比較材料ができたのは収穫だった。


出納

夕食、携帯、SIM、一日乗車券、水、ホットドッグ、夕食
60.39

うわ・・・

2014/08/01

2014/8/1


・手荷物

今日は今のところ事件なく進んでいるので、昨日の手荷物の件について。

Lufthansaの規定では受託手荷物が23kg×1に限り無料、それ以上預けるには重量、個数に応じ追加料金が請求される。僕は追加料金の支払いは覚悟しつつ、それを最低の9000円(23kg×1)に抑えようとしており、羽田空港では二つの受託手荷物を23kg以下に抑え、さらに機内持ち込み手荷物のスーツケースを8kg以下に抑えるため、チェックインカウンターの脇で丁寧な荷造りが無に帰する大々的な荷物の入れ替えを敢行した。隣のアシアナ航空の重量計を勝手に借りるなどして調整し、なんとかすべての荷物を制限-1kg以内のギリギリに収めるに至った。
ただ、機内持ち込み手荷物8kgに関しては土産を装い文庫本十数冊を持ち込んだので実質アウトである。しかし僕は正直にカウンターで荷物を申告したから面倒を強いられたものの、明らかに8kgを超えるスーツケースを持ち込む輩も多数いるわけであり、別に咎められることでもないだろう。

手荷物ついでに、フランクフルト・アム・マイン空港でドイツ鉄道に乗り継ぐ場合の手荷物受取場所について。
羽田では鉄道を降りるケルンまで運ばれると言われたが、それを信用せずフランクフルトのルフトハンザ・カウンターで尋ねたところ、通常の受取りレーンには流れて来ず、ドイツ鉄道の駅の隣にあるカウンターで受け取れとのことだった。5分ほど連絡通路を歩き鉄道駅に辿りつくと、ルフトハンザとドイツ鉄道の連携サービスで、僕が今回利用した"AIRail"の表示がある。そしてそこの床には僕のスーツケースとバックパックが無事転がっていた。
連絡通路を身軽に歩けるのは便利ではあるが、AIRailの浸透度は微妙のようでカウンターは閑散としており、知っていないと気が付かないかもしれない。


出納

水、ビール、サンドイッチ、水、水、コーヒー、トイレ
8.77

参考:今回の荷物

機内で読んでいたDer Spiegel
MH17の犠牲者たちとプーチン。