2014/08/18

2014/8/17


・アーヘン
Aachen, eigentlich Bad Aachen, ist eine kreisfreie Stadt und Kurstadt im nordrhein-westfälischen Regierungsbezirk Köln, Mitglied des Landschaftsverbandes Rheinland und gehört nach dem Aachen-Gesetz mit Wirkung vom 21. Oktober 2009 als kreisfreie Stadt zur Städteregion Aachen. 1890 überschritt Aachen erstmals die Einwohnerzahl von 100.000 und ist seitdem die westlichste deutsche Großstadt. Die Stadt ist bekannt für ihre bis in die Jungsteinzeit zurückreichende Geschichte und ihr damit verbundenes kulturelles, archäologisches und architektonisches Erbe.
アーヘン、実はバッド・アーヘン、はノルトライン・ヴェストファーレン州ケルン行政管区の郡独立市、そして保養都市である。ラインラント地域連合の構成員であり、アーヘン法の2009年10月21日の施行に伴い、郡独立市としてアーヘン諸都市圏に所属している。1890年にアーヘンは初めて人口10万人を超え、それいらいドイツ最西の大都市である。その都市は新石器時代までさかのぼる歴史と、それと結びついた文化的、考古学的、建築的遺産で知られている。
アーヘンはケルンから西に電車で1時間の位置にある都市で、人口24万人。カール大帝がここを気に入り、都と定めた地だとして知られている(実際にはカール大帝は広大な帝国を旅して一生を過ごしたが、アーヘン的には、大帝はここを「定まった居住地」にしたということらしい。アーヘンはその頃カロリング帝国の首都、すなわちヨーロッパの首都だったと声高に過去を称えるが、移動宮廷が主流だった中世の国家に「首都」という概念を適用すること自体が実はふさわしくない)。

僕は8月10日日曜日にアーヘンを訪れた。アーヘン中央駅から旧市街までは歩ける距離であり、見どころはすべて旧市街にまとまっている。
ケルンと同様アーヘンもまた有名な大聖堂を持っており、ゴシック様式とロマネスク様式が混在した独特な美を備えている(ゴシックの権化であるケルン大聖堂より美しいというのが一般的な評価らしい)。そして今年2014年はカール大帝が死んでちょうど1200年ということで、カール大帝を特集した展示が三ヵ所で開かれていた。僕は旧市役所で開かれていた一つを訪ねたのみだが、アーヘンが様々な文脈を駆使してカール大帝をとっかかりにヨーロッパ全体を取り込もうとしている様が興味深かった。
また、アーヘンはそもそもは保養地として知られ、カール大帝も温泉で長旅の疲れを休める地としてアーヘンを気に入ったと言われている。今でもその鉱泉は残っており、そこには過去の偉大な訪問者の名が彫られた石板がある。それによれば、ピョートル大帝もここを訪れた。

アーヘンの名物はアーヘナー・プリンテンという菓子であるが、試食してみるとあまりに甘く買う気にはならなかった。ただ、プリンテンの有名店であるNobisはパン屋も営業しており昼食はそこでとった。
小さな町であり午後には時間が余り、技術系の単科大学のあるエリアをぶらぶら歩いた。日曜ではあったがそのあたりの飲食店は軒並み営業しており、様々な人種の学生たちで活気づいていた。

こんな無味乾燥な記述で写真もなしというのはどうかと思うが、今これを書いているカフェのネット環境により、写真のアップロードに厖大な時間がかかりそうなのでとりあえずこれですます。
あと、まったくログを書いていないとこんなにも書くことが思い浮かばないのだなとちょっと悲しくなったので、今からでも昨日のマーストリヒト、リエージュへの旅について軽く認めるべきだろう。


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